ねばならぬ。無力なる君主は、或は願後身世世、勿[#三]復生[#二]天王家[#一]といひ(劉宋の順帝)、或は願自[#レ]今以往、不[#三]復生[#二]帝王家[#一]といひ(隋の恭帝)、極端なる恐迫觀念に戰《をのの》きつつ、危惧憂鬱なる一生を送る。有爲の君は、機會ある毎に宿將や權臣を殺戮して、身後の計を立てる。狡兔死、走狗烹。飛鳥盡、良弓藏。敵國破、謀臣亡と諺にある通り、支那の君臣は患難を共にすることが出來ても、富貴を共にすることが出來ぬ。漢の高祖は寛仁大度の君として世に聞えて居るが、その人すら韓信や彭越らの功臣は大抵殺害して仕舞つた。清人黄※[#「くさかんむり/辛」、第3水準1−90−88]田の詩に、漢家多少韓彭將、不[#レ]得[#二]銘旌一字看[#一]といふ句がある。高祖が功臣に對する恩情の薄きを惜んだものである。温和なる宋の太祖の如きは、巧言を以て宿將を説服して、權要の地を退隱せしめ、刻薄なる明の太祖の如きは、露骨に功臣を誅戮した。手段に寛嚴の相違はあつても、臣下を猜疑するといふ心理は、同一と認めねばならぬ。

         六 支那人の猜疑心(二)

 支那の政治や教育は、儒教
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