一人で物淋しき寺廟に入らば、何時僧侶――支那で僧侶は多く惡徒と見做されて居る――の爲に人知れず殺害されるかも知れぬ。二人で井戸を俯瞰する際に、何時相手の爲に井底に突き落されて命を失ふかも知れぬ。かかる場合を警戒する諺で、之に由つても、支那人の猜疑心の強い一端を察知することが出來ると思ふ。又支那に『示我周行』といふ題目の旅行案内書がある。その開卷に旅客心得として、江湖十二則を掲げてあるが、概して盜賊・放馬《おひはぎ》・欺騙《かたり》・掏摸《すり》・拐騙《もちにげ》・偸換《すりかへ》等に對する注意に過ぎぬ。こは警察不行屆勝の支那に於ては、當然の注意であるが、同時に他人を泥棒視する、支那人根性の發露とも見受けられる。兔に角支那では、男女の間柄にも、同僚の交際にも、將た君臣父子の關係にも、常に猜疑といふ隱翳が附き纏うて居る。
 申す迄もなく支那は古來革命の國で、君臣の分定つて居らぬ。『左傳』に「君臣無[#二]常位[#一]。社稷無[#二]常奉[#一]」とある通り、今日の臣下も明日の君上となり得る國である。從つて支那の君主は、赤心を臣下の腹中に置くことが難い。絶えず臣下に對して猜疑警戒の眼を見張ら
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