てて遠征を企つる筈がない。北虜制御策の祕訣は、朔北に美人を多くし、男子をして女色に惑溺せしむるに限る。就いては此際纏足――支那では纏足が美人の第一の資格と認められて居つた――を始め、その他一切の中國化粧法を朔北に傳へる。かくて朔北の婦人が柳腰蓮歩の美人となつたらば、さしもの北虜もこの可憐な美人に愛着して、往日の獰猛性を失ふに相違ないといふのが、瞿九思の建議の内容である。何と恐れ入つたる妙策ならずや。日本人から觀れば滑稽至極の此策略を、支那人の學者は眞面目に天子の御手許まで建議するのである。我が國でも黒船來航の當初、吉原あたりから似寄りの策略を幕府に獻議したといふが、これは北里の忘八輩の猿知慧に過ぎぬ。支那の如き一代の才子や著名の學者の眞面目な意見と、一樣に扱ふべきものでない。兔に角支那ではかかる笑ふべき妥協(?)對策の方が一般に氣受がよく、それ以上進んで積極的に塞外征伐など行ふと、兵を窮め武を涜すものとして、歡迎されぬのである。
五 支那人の猜疑心(一)
支那人は一般に猜疑心が深い。支那に「一人不[#レ]入[#レ]廟。二人不[#レ]看[#レ]井」といふ諺がある。
前へ
次へ
全22ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
桑原 隲蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング