記録を佛譯して、之を世間に紹介したフランスの東洋學者レイノー(Reinaud)は、この記事に疑惑を挾みて、當時支那は擾亂を極めた時代であるから、或は一時的現象として、かかる事實存在せしや知れざれど、恐らく之はマホメット教徒の訛傳で、事實でなからうと申して居る。然し之はレイノーが支那の實情に通達せざる故で、マホメット教徒の記事に何等の訛傳がない。元時代乃至明清時代に支那に觀光した、若くば支那に滯在した外國人の記録の中にも、支那人の食人肉風習を傳ふるものが尠くない。
古代に溯つて稽へると、食人肉の風習は、隨分世界に廣く行はれたらしい。されど支那の如き、世界最古の文明國の一で、然も幾千年間引續いて、この蠻風の持續した國は餘り見當らぬ。南洋諸島の間には、比較的近代まで、食人肉の風が盛に行はれて居つた。北方民族の間にも、曾て食人肉の風が行はれて居つた。支那に於けるこの蠻風は、外國傳來のものであるか、若くばその國固有のものであるかは、勿論容易に決定することが出來ぬ。唯極めて悠遠なる時代から、支那にこの蠻風の存在したことは、記録によつて疑を容るべき餘地がない。
日支兩國は唇齒相倚る間柄で、勿論親
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