。中に就いて尤も著るしい二三の實例を示さう。第一の例としては隋末の劇賊朱粲を擧げねばならぬ。彼は人肉を以て食の最美なるものと稱し、部下に命じ、至る所婦人小兒を略して、軍の糧食に供せしめて居る。唐末の賊首黄巣の軍も亦同樣である。黄巣の軍は長安沒落後、糧食に乏しく、毎日沿道の百姓數千人を捕へ、生ながら之を臼に納れ、杵碎して食に充てた。この時討手に向つた官軍は、賊軍を討伐するよりも、彼等の糧乏しきに乘じ、無辜の良民を捕へ、之を賊軍に賣り付けて金儲をしたといふ。隨分呆れた話であるが、支那兵の所行としては、あり得ることかも知れぬ。朱粲や黄巣の事蹟は、何れも『舊唐書』に見えて居る。また『五代史記』に據ると、五代の初に、揚州地方は連年の騷亂の爲、倉廩空虚となつた結果、人肉の需要が盛に起り、貧民の間では、夫はその婦を、父はその子を肉屋に賣り渡し、肉屋の主人は彼等の目前で之を料理いたし、羊豚と同樣に、店前で人肉を賣り出したといふ。
 更に南宋の初期には、金人の入寇により、山東・京西・淮南の諸路一帶にかけて、穀價暴騰せし爲、この方面の人々は、百姓も兵卒も盜賊も、皆人肉を食して口腹を充たした。當時人間を兩脚
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