あり、又張騫の事蹟も、大正五年二月發行の『續史的研究』中に掲げてあるから(本全集第三卷所收)、茲には始皇帝と張騫との事蹟を掲載することを省略して、直に第四の諸葛亮、即ち諸葛孔明の事蹟を紹介する。
 一體支那人には表裏が多い。看板と實際とは大抵一致せぬ。彼國の梁啓超の如きも、支那通有の一缺點として、好僞を擧げて居る。古來有名な支那の政治家や軍人を見渡しても、心と口と、口と行とは、別々となつて居て、人の反感をそそる樣な人物が多い。この間に在つて、獨り諸葛亮のみは至誠一貫して、その行動に一點の不純をも認めぬ。誰人と雖ども諸葛亮には深厚なる同情を起し、又誰人でも諸葛亮からは至大なる教訓を受けることが出來る。從つて古來人物評をする學者の中に、殆ど一人も諸葛亮を非難した者がない。机上の書生論で、隨分吹[#レ]毛求[#レ]瘢的の評論を好む宋の儒者でも、諸葛亮だけは大抵は無條件で奬推する。張拭(南軒)や朱子の如き、皆彼を推して三代以後の第一人者とする。支那人嫌ひで有名な平田篤胤の如きも、諸葛亮に對しては、最上級の贊辭を惜まぬ。
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此人生涯の行は、唐人ながら篤胤實に間然すること能は
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