を描き出して殆ど遺憾がない。「食不[#レ]語。寢不[#レ]言」とか、「立不[#レ]中[#レ]門。行不[#レ]履[#レ]閾」とか、必ずしも大聖孔子の行爲として、殊に表出するに當らぬ程の平凡な記事が疊見して居る。かかる飾氣のない僞らざる、古代の偉人の日常生活状態の今日に傳はるのは、孔子に限つたことで、之も亦吾人修養の手本として、孔子が他の偉人に勝つて居る點と思ふ。
 要するに孔子は平凡なる偉人たる點、修養によつて向上した經路の尤も明かなる點、人格の圓滿なる點、日常生活の尤も詳細に、又尤も飾氣なく傳はれる點、殊にその終始人間離れをせぬ點、此等の諸點で、他の世界の偉人達と相違して居り、同時に吾人の修養の手本として、尤も適當なる所以と思ふ。吾々の如き平凡な人間でも、努力して修養さへすれば、別段奇蹟の如き筋道を辿らずとも、孔子の樣な位置にまで向上進歩することが出來るといふ、眞實の手本を示す點が、確に孔子に限つた特色である。

         四 諸葛亮(上)

 支那史上の偉人として、私は第一に孔子を擧げ、第二に始皇帝、第三に張騫を紹介したが、始皇帝の事蹟は、已に大正二年一月の『新日本』に載せて
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