た平凡の偉人たることを自白して居る。後世の儒者らが孔子を尊崇する餘り、孔子を生知安行の聖人として、強いて凡人と區別せんとするのは、不心得千萬と申さねばならぬ。殊に近年公羊學を唱ふる輩が、孔子に種々の奇蹟を附會し、之を豫言者扱せんとするは、實に孔子を誣ひ、孔子を賊するものと申さねばならぬ。
(第三) 孔子の人格は頗る圓滿である。『論語』に子貢が孔子を評して、「温・良・恭・儉・讓」(學而篇)とあるが、尤もよく孔子の人格を描出して居ると思ふ。又『論語』に「子絶[#レ]四。毋[#レ]意。毋[#レ]必。毋[#レ]固。毋[#レ]我」(子罕篇)とある通り、孔子は決して我見を固執せぬ。彼の言行は終始中庸で、極端や過激がない。從つて危險もなければ弊害も尠ない。
此の如く孔子は圓滿なる人格を具へ、言行中庸を失せぬから、彼はその一生を通じて、殆ど他から迫害を受けたことがない。彼は一生不遇ではあつたが、その學説その言行は、當時の人から一般に尊敬されて、決して迫害を受けなかつた。桓※[#「鬼+隹」、第4水準2−93−32]の難や、陳・蔡の厄など傳へられて居るが、之は例外の出來事で、又その實情も明白でない。た
前へ
次へ
全27ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
桑原 隲蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング