努力によつて、偉人の位置に到達したのである。孔子の如く修養の效果の顯著なる人は、殆ど他に比類がなからう。この點が他の偉人とは立ち優つて、吾人の修養の手本として、尤も適當な人物と思ふ。
『論語』を見ても明白なる如く、孔子は絶えず努力して、年一年と進歩した人で、その進歩の順序も極めて規則正しく、宛《あたか》も學生が小學より中學、中學より高等學校、高等學校より大學と、年を追うて進級して行く面影があつて、誰人にでも眞似出來る樣な階級を歴て、層一層と人格を高めて居る。長い修養の間に、少しの不思議も奇蹟もない。孔子はその晩年に、一生の修養に就いて、「吾十有五而志[#二]于學[#一]。三十而立。四十而不[#レ]惑。五十而知[#二]天命[#一]。六十而耳順。七十而從[#二]心所[#一レ]欲不[#レ]踰[#レ]矩」(爲政篇)と申して居る。彼が老の將に至らんとするのも忘れて、晩年まで孜々として修養に努力せしことがわかる。世界の偉人の中で、孔子程修養に努力した人はあるまい。孔子は自ら「我非[#二]生而知[#レ]之者[#一]」(述而篇)というて、自身の生れながらにして偉人たることを否定し、修養によつて成功し
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