14−58]の如き、晉の文公に信任された寺人の勃※[#「革+是」、第3水準1−93−79]の如き、その一例である。内豎といひ、寺人といひ、又奄人といふは、皆宦官のことである。有名な商鞅が秦に重用されたのも、宦官景監の手引により、藺相如が趙に出世したのも、宦官繆賢の推擧によるといふ。秦時代には遂に趙高の如き、權勢を專らにして弑逆をも行ふ宦官が出て來た。此等古代の宦官の事蹟は、ほぼ『後漢書』の宦者傳序に備つて居るから、茲に態※[#二の字点、1−2−22]紹介するを要せぬ。
 漢以後に出た重なる歴代の宦官の事蹟は、支那史乘に詳記されて居つて、これも一々紹介する必要がない。歴代の中でも、東漢・唐・明の三代が、宦官の尤も權力を振ふた時代で、この三代の中でも、唐が一番甚しい。唐の中世以後は、大臣の任免は勿論、天子の廢立すら宦官の意の儘であつた。當時宦官を指して定策國老と呼び、之に對して皇帝を門生天子と稱した。定策國老とは、試驗官に當る國家の元老といふ意味で、門生天子とは、その試驗官の檢定で、及落を決定せらるる受驗生の天子といふ意味である。天子廢立の全權が、宦官の掌裡に在ること、宛《あたか》も受驗生
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