を傳へて宦官を置いた。獨り我が國は隋・唐以來、盛に支那の制度文物を採用したに拘らず、宦官の制度のみを輸入せなかつたのは、誠に結構なことと申さねばならぬ。嘗て「支那の宦官」といふ論文を發表した、英國のステント(Stent)は、東洋諸國にしかく普通である宦官の制度が、西洋方面に餘り流行せなかつたのは、全くキリスト教の御蔭であると、提燈を點けて居るが、我が國などは何等宗教の力を待たずに、よくこの蠻風に感染せなかつたので、一層誇負するに足ると思ふ。之に就いても私共は、我が國の當時の先覺者の思慮分別に、十分感謝せなければならぬ。
かく宦官は諸國にも存在したが、支那は宦官の國として、最も世間に聞えて居る。宦官といへば、直に支那を聯想する程である。事實世界に於て、支那ほど宦官の重用された國がなく、支那ほど宦官の跋扈した國がなく、また支那ほど宦官に關する多量に且つ連續せる記録を有する國がない。
支那の宦官が何時代からはじまつたかは、正確に知ることが出來ぬ。されど周時代には、已に宮刑が五刑の一に加へられて居り、宦官も存在して居つた。疑問の書物ではあるが、『周禮』にも、
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