て、民間の自宮者を禁止して居るが、それは看板若くば一時だけのこと、實際に於ては殆ど※[#「厂+萬」、第3水準1−14−84]行されなかつた。宮刑が廢せられ、宦官の存する以上、宦官の供給は、大體自宮者に待たねばならぬ筈故、自宮者の跡を絶つ譯がない。自宮者を禁止する政府自身が、その實自宮者にとつて第一の、もしくは唯一の需要者であることは、大なる皮肉と申さねばならぬ。清朝では明時代に比して、概して自宮者の取締規則を嚴重にし、また宦官補充の人數も僅少であつたから、明末の如き自宮者の濫出はなかつたらしい。
三
政府で宦官を採用するには、第一に身體試驗を行ふ。應募者が完全に割勢されて居るや否やを審査する。次にその年齡・容姿・性質・擧動・言語・音聲等を檢査する。年齡の若く容姿秀で、擧動閑雅、言語明晰、美聲で悧發な者が選に入る譯である。
入選者はその伎倆に應じて、相當の職業に從ふ。或る者は内外の取次に從事する。或る者は小間使となる。或る者は司法官となつて、仲間の者の非行を懲戒する。或る者は僧侶となつて、後宮の佛事を行ひ、又は女官達に慰安を與へる。或る者は音樂家となり、或る者は俳優となる。内廷に戲園(舞臺)があつて、ここに時々演藝が試みられるが、その出演者は皆宦官に限る。或る者は料理人に、或る者は理髮者に、或る者は苑丁となる。降つては洗濯人・水汲人・掃除夫となるものもある。その他夜警に當る者、護衞に當る者もある。内廷一切の雜務は、宦官で處理するのである。彼等を取締る首領として、總管や副總管を置く。
割勢者は首尾よく宦官に採用されて、入内の素懷を達し得るのは一小部分で、その大部分は不合格者として、郷里に蟄居せなければならぬ。彼等の餘生ほど悲慘なものはなからう。明・清時代の宦官の本場は、直隷省殊に河間地方である。皇室直屬の宦官は、殆ど直隷出身に限る。明末に權勢を專らにした魏忠賢、清末に勢力を振うた李蓮英ら、皆河間出身の宦官であつた。明末の『野獲編』を見ると、當時河間地方には、入内に失敗せる幾多の自宮者が、自暴自棄の餘り、團結して往來の人馬に對して劫略を行ふ。故にこの方面の旅客車馬の遭難するもの夥しいが、實情を知悉せる官憲は、彼等の境遇を斟酌して、其狼藉に放任したといふ。
四
歴代朝政之失、半由[#二]官寺[#一]と支那人が評した通り、宦
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