。併しこの問題を解決するには、成るべく多くの古代の支那紙を蒐集して、之を Wiesner 教授と同樣の方法で調査する外はない。事實は最後の解決である。
六
Stein 氏が天山南路の探檢に着手して以來、ヨーロッパ諸國の探檢者は陸續この方面に出掛けた。ドイツからは最初に 〔Gru:nwedel〕 氏(西暦一九〇二―一九〇三)次に Le Coq 氏(西暦一九〇四―一九〇六)第三囘には 〔Gru:nwedel〕 及び Le Coq 二氏(西暦一九〇六―一九〇七)が出掛けて、幾多の古文書を發掘した。英國からは Stein 氏が再び天山南路に出掛け(西暦一九〇六―一九〇八)敦煌で幾多の遺籍、文書を發見した。フランスの Pelliot 氏も亦この方面に出掛け(西暦一九〇六―一九〇九)敦煌で大發見をやつたことは、我が國人の耳に猶ほ新なる所である。此等の探檢によつて得た成績は、多くは未だ發表にならぬけれども、其うちに唐代若くばその以前の文書――吾が輩が前項に述べた支那紙の原料及び製法問題を解決するに屈竟なる材料が少くないことだけは確實である。
わが國の西本願寺の大谷伯爵も亦去
前へ
次へ
全32ページ中25ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
桑原 隲蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング