もない。第一 Wiesner 教授の調査した支那紙の數は決して多くない。年代の確實なるものは僅か六七種に過ぎぬ筈である。然も此等は多く唐代のもので、何れも和※[#「門<眞」、第3水準1−93−54]《コータン》の東北約百マイル許の 〔Wanda^n−Uiliq〕 地方から發掘されたものである。一地方から發掘された少數の支那紙の調査のみでは、決して支那紙全般の原料や製法を確實に推斷する譯にはいかぬ。
 第二に東漢時代から已に麻紙、穀紙、網紙の區別があつた。『東觀漢記』の一本に、
[#ここから2字下げ]
倫(蔡倫)典[#二]尚方[#一]作[#レ]紙。用[#二]故麻[#一]名[#二]麻紙[#一]。木皮名[#二]穀紙[#一]。魚網名[#二]網紙[#一]。
[#ここで字下げ終わり]
と記してある。故麻といふと麻|襤褸《ぼろ》のことであらう。すると網紙は勿論、麻紙もたとひ純粹の襤褸紙でなくても、その主要成分は熟纖維(Textile Fibres)であつたと想像される。少くとも天山南路で發掘された支那紙――Wiesner 教授によれば樹皮を主要原料とせる――と同一の成分ではなかつたであらうと思はれる
前へ 次へ
全32ページ中24ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
桑原 隲蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング