獻をした。人智の開發と文化の促進とに大關係ある印刷術が發明されても、紙の發明が之に伴はなかつたならば、其效用の大半を沒了したであらう。紙の需要は年一年と増加して行く。紙の消費高によつて幾分その國の文化の程度が推測される。現時代を指して「紙の時代」と稱する學者もあるが、強《あなが》ち不當なる Beiname であるまい。かく人文に關係深き紙の製法は、最初支那で發明せられ、マホメット教國に傳つて改良せられ、最後にヨーロッパに入つて大に發達した事實は、最早今日では殆ど疑ふ餘地がなくなつて居る。こは格別耳新しい事ではないが、斯に前賢の所説を補綴して、紙の歴史の大要を紹介いたし、聊か『藝文』寄稿の責を塞がうと思ふ。
支那の古代では書寫の材料として、竹と木とを使用した。竹で作つたのが簡である。簡の長さは必しも一定はして居らぬが、經書などは多く二尺四寸位から八寸位までの簡を使用した。之に普通一行に八字から三十字位の文字を書いた(1)。木で作つたのを版とも牘ともいふ。普通三尺位の大さで、形が四角であるから方とも名づけた。この版には三十字から百字位までの文字を書く。百字以上となるとさきに述べた簡を幾個
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