ある。それ故帳幕中に入るときはこの皮の幕を押のけて行くのです。其入口の方向は前申す通り必ず南向きである。それは何故かと云ふと是れは蒙古人に限つた譯ではない。北狄は皆さうである。匈奴人でも突厥人でも囘※[#「糸+乞」、第3水準1−89−89]人でもさうである。若し南向きでなければ、屹度東向き、西と北の方には決して入口を設けない。何故と云へば蒙古地方で吹く雨風は大抵西の方向か北の方向に定つて居りますから、夫故に南と東へ開け置けば結構です。一體東か南の方であると云ふと日の照りやうも宜しくて温かいですからね。帳幕の中で各人の居場所といふものは定つて居ります(また圖を描く)。中央がさきに述べた通り火を焚く場所、其前が此處が入口、さうすると家の主人の居る所は屹度此處です。此處が主人の臥たり、腰掛けて居つたり坐つたり、總て居る所は此處です。即ち一番北の方で南へ向ひて居る。それから此方の方は一家の女供の居る所、此方は一家の男子の居る所、即ち右側西の方に男が居るし、左側東の方に女が居る。それで是れは人の起臥する帳幕の話でありますが、蒙古人だつて身分に應じていろいろの寶をもつて居る者もありますから、さういふものを臧むるには倉庫がある。其の倉庫と云つても日本の倉庫とは違つて、矢張り帳幕で出來て居る。さきの帳幕と同じ形であるが、もう少し小さくつて丈夫で、それは必ず駱駝に曳かす車の上に載せるやうに出來てある。其倉庫へは寢道具、蒲團とか掻卷とか其外のいろいろの道具寶物を入れてある。其倉庫の數は身分に應じて餘程違ふ。立派な人は百も二百も持つて居る。少い人は一つも持つて居らぬ(笑聲起る)。さうして夫れを斯ういふ風に置く。二十なり三十なり數はどうでも宜いですが、それを必ず住所の帳幕の左右兩邊へ斯ういふ風に置く(この時圖を描く)。車が二十ほどあると此方へ十此方へ十列べて置く。丁度垣の代りになる。是れは決して車から降さぬ。駱駝に曳かした車の上に載せてある。二百もあれば二重にすることもあるし、長くすることもある。又隣りに住所があれば之も同樣に住所の左右へ倉庫を置く故墻が二重になる譯です。倉庫が一つもなければ隣の方の垣を借用する譯です(笑聲起る)。寶や道具を臧めた倉庫を斯ういふことをして置いたら盜人が入りさうなものですが、蒙古人には盜人がない。蒙古人はまるで盜人といふことはしませぬ。後に申す通り蒙古人は絶えず他國へ侵入して物を掠奪する、戰爭をすると必ず敵の財産を掠奪するけれども、蒙古人と蒙古人の間では盜人をし合ない。蒙古人は鍵とか錠といふものを知らない。是れは皮倉庫だから鍵をおろして置かうといふ、そんな考へは起こらぬ。開け放して置いても盜人がない。だから斯うして置いても差支ないのであります。それから蒙古人は時々水草を逐うて家移りをします。其移轉するときはどうするかと云ふと、折角建てた物を壞すことはしない。其儘に大きな車の上に載せる、車の幅はなかなか大きいです。三間以上もある。車の輪から輪まで(此時圖を描いて説明す)、此處から此處まで、大きいやつは二十呎、其上へ建物を其儘載せるです。是れは隨分大きいですけれども、前申す通りに樹の枝位を組合せて其上へ皮を張つてあるのだから、日本の大きな家を移すより遙に輕いです。大勢寄りさへすれば此上へ載せるには何でもない。けれども先程申した通り、此大きいのになると三十呎ありますから、無論幾分かは輪の外へ出る。載せた所を見ると斯ういふ風になる。小さければ無論此車にきちんと載るのです。入口は矢張り斯ういふ風に前に向いて、載せるです。それから之を牛が曳くです。牛は何頭で曳いても動きさへすれば宜いですけれども、餘計なのになると二十二頭で曳くこともある。三頭でも曳くし五頭で曳くこともある。ずつと大きいものになると二十二頭で曳くです。それを前列に十一頭、其後へも十一頭持て來て、それを馭する者が此處へ乘るです。蒙古の牛でも馬でも極めて柔順で、日本のやうに惡荒れをしませぬから、此處で鞭なりを一つ持つて方向さへ示せば、極めて温和しく行くです。是れで家移りをする。是れは男ですが、時によると女でも樂にやる。蒙古の女などは強うございますから、馬に曳かした車の二十輛や三十輛は一人して連れて行くです。途中で馬の荒れることもないのですから、先づ住所の話は夫れ位にして、其次は、
 衣服及び頭飾の話 蒙古人が着ます衣服は、夏は絹或は木綿の物を使ひます。それは大抵支那からして輸入されるのであります。木綿はペルシアからして輸送される。けれども冬は毛皮を着ます。寒い地ですから、其毛皮はロシアから或はその附近のブルガリヤなどから來るのであります。毛皮の衣服を着ました其上へ、蒙古人は大抵二枚の外套を着ます。それは二枚とも毛付きの外套です。一枚の下の方へ着る外套は裏毛になつて居る。それから表へ着る外套は外毛《そとげ》になつて居る。若し蒙古人の外套を着る人を切つて見たら身體の方に向つて毛があるし、外へ向つて毛がある。斯ういふのを二枚着るです。それでは何獸の毛皮を外套にするかと云ふと、狼、それから狐です。それが普通です。狐か狼の皮を外套にする。けれども貧乏人は大抵犬の皮を外套にするのであります。申す迄もなく是等の外套は所謂防寒衣でありまして家に居る時分には帳幕の中に住んで居る故にそんな物は脱いで仕舞ふ。それから蒙古人の男子はひげはありませぬ。全くないことはないけれども甚だ少い。隨つてひげを伸ばすことはありませぬ。若し伸ばしても鼻の下のひげだけ。けれども伸さぬ方が多い。伸ばす人は少い。鼻の下のひげは漢字で髭と書きます。鬚といふのは天神樣のやうなので、榎本さんのやうな耳の下へ伸ばすひげは髯と書きます。髯も鬚も蒙古人は生さぬ、生すのはここの髭だけです。まあ大抵日本の先生方も蒙古人と同じに鼻の下に髭を伸ばして居る(笑聲起る)。それから頭ですが、頭は是れは面白い。是れは未だ能く人が知らぬやうですが、蒙古人は辮髮です。その辮髮も一種特別なであります。この辮髮する人種といふものは現今の清朝人も其一つで、又蒙古人よりずつと前には、支那内地へ國を建てた、南北朝時代の北朝の拓跋魏《タクバツギ》などは索虜と呼ばれた位だから勿論辮髮をやりましたが、どんな風にしたか委細には知れないのであります。蒙古人も辮髮をしましたが、其の辮髮の仕樣は人が餘り注意せぬですけれども、一寸面白い、蒙古人は頭髮を大半剃り落します。唯前額の上だけ前髮を殘します。この前髮は眉毛の邊まで垂れる、それから此邊りを悉く皆剃つて仕舞ひますが(この時圖を描く)、耳の上に當る此處だけを少し殘して置きます。ここの髮は成るべく伸ばして之を辮みて長く耳の側に垂れる。だからどういふ風に描いたら宜いですか、まあ……私繪が薩張り下手だが斯ういふ風にして(笑聲起る)、斯うです。辮髮を兩方の耳の側へ二本垂れる。前髮を殘して居るだけは可愛らしい。何んですな、日本の蒙古襲來など云ふ圖がありますが、それを能く注意して見ると、二本の辮髮を垂れてあるのがあります。
 それから女の方の服裝は男と同じことです。それで結婚するまでは、外國人などから見ると男か女かまるで分らぬさうです。結婚すると少し頭髮の飾が違ひます。衣服は男女同樣で、唯少し女の方が長い。長いけれども殆ど區別が付かぬさうです。無論蒙古人の衣服も日本と同じで右で合はすです。突厥人は左ですが、蒙古人は日本人と同じやうに右です。女の髮の形は是れはなかなか面白いです。口で言ふと却つて分らぬ。繪で描いた方が能く分りませう。嫁に行つて仕舞うて頭髮の前半分剃る。後頭の髮のみを殘す。それを結びます。さうして其處へ以て行つて大きな、今日で言ふ朝鮮人の帽子に似たやうな物を冠ります(この時畫を描く)。斯ういふ風に鉢皿などを逆樣に戴いたと同じことです。頭の上へきちんと冠るやうになつて縁は出て居ります。これを蒙古人は Bocca と申します。それは木の皮で拵へる。其上へ美しい絹を張つて居る。それから其冠り物の頂邊からかう四角な長い物がずつと出て居る。この四角な長い物の側面には穴を明けてある。此處へいろいろな飾りを置きます。鳥の羽根位です。鳥の羽根でなくても何でも宜い。或は絹の布などをやる。それから一番上へ行つては細くなりますが、孔雀の羽根を飾り付けます。冠り物は此處から此處までで高さ二尺何寸、長いのは三尺位あります。この高い冠り物には無論|纓《ひも》が付けてあつて、それを顎下でしつかり括り付けます。蒙古の女は馬に乘ります。小さい時分から馬乘りの稽古をします。蒙古の婦人がこの  Bocca を冠りて馬に乘りて居る所を遠くから見ると恰も騎兵が馬に乘つて來ると同じことで、此女などが澤山寄つて一緒に列んで馬に乘つて來るのを見ると、騎兵が自分の方へ襲撃して來るかの如く見える。何故かといふと Bocca の頂の所が騎兵の槍のやうに見えますからして(笑聲起る)、其冠物の皿が兜のやうに見えますから、臆病なる外國人は蒙古の婦人を見ても逃出し兼ねぬのです。蒙古の騎兵が來たかと思うて。次に蒙古の女は、能く肥滿つて居ります。それから鼻が低いです。どうも日本人が西洋人を見ると、鼻が隆い、鳶のやうな鼻をして居るとか何とか言ひますが、先刻申した所のプラノ・カルピニとかルブルックといふ先生達は、西洋人ですから鼻の隆つたに違ひない。それで蒙古人を見ると鼻が低い。鼻が低いといふよりもまるで鼻がない。唯顏の眞中に穴が二つ開いて居ると書いてあります(笑聲起る)。鼻が低いのですから彼等が見ると殆ど鼻がないやうに見えるでせう。酷いことを書いてある。顏の眞中に穴が二つ開いてあると云ふ。女は西洋でも日本でも顏に化粧をしますが、蒙古の婦人は多く黒い物を顏へ塗る。其顏へ少し黒い物を塗るのではない、眞黒に塗りますから隨分怖いさうです。外へ出るときは顏へ黒い物を塗る。日本では白い物を塗りますが、蒙古人は黒い物を塗るのです。次が飮食の話。
 飮食の話 先づ飮物の方から申しますと、蒙古人は冬の間は米或は小麥などから拵へた所の飮料を飮みます。それは多く支那の方から輸入されます。時に依ると葡萄酒も多少飮む。それはペルシアから輸入される。けれどもそれは極めて少量で、彼らの一般に殊に夏の間に用ゆるのは馬の乳です。馬乳です。馬乳を其儘飮むのではなくして、馬の乳からして製した所のクーミー(Koumis)といふ酒を飮みます。是れは牝馬の乳を搾り取り、それを皮の袋へ澤山詰めて、その皮袋をしつかり括つて大きな棒で皮を敲くです。さうすると熱を起しますから其間に自然に醗酵が出來ます。其熱でハーメントする。それは餘程酸ぱいさうです。蒙古人は之を非常に好くのです。それが彼らの最も好む所の飮料であります。天子とか或は大將とかいふ人になると、此普通のクーミーをもう少し精製した、カラクーミー(Karakoumis)を使用します。是は餘程甘いさうです。善い所を取て年を經て十分精製したのがカラクーミー。是はなかなか普通の人には飮めないのである。身分のある人でなければ飮めぬ。蒙古人は此クーミー或はカラクーミーを非常に用ゐるですから、大抵身分のある人は牝馬を澤山養つて其乳を搾らす。例へて云へば拔都《バツ》の如きは自分の所有として三千の牝馬を飼つて居る。それから毎日乳を搾らせて自分の飮料にしてある。蒙古人の酒を飮むときには先づ一番先に家の中の神樣に捧げる。それから續いて家で酒を飮む前に一家の下男が其酒を持つて天幕の外へ出て、さうして東西南北へ以て三遍づつそれを撒きます。或は風の神にやるとか、或は是は何の神にやるとか云つていろいろ儀式があります。兔も角も南へ三度、東へ三度、北へ三度といふ風に撒きまして、それから後で家の者が飮むです。それから一家の主人が飮んで居る間は他の男の者は主人の前で手を拍いて踊りて興を助け、若しも一家の主人の女房が飮む時分には他の女供が其前に行つて踊ります。無論樂器を奏することもあります。
 それから一つ面白いことは蒙古人が客に酒を勸める時です。御客樣があつてクーミーでも飮ます時分には一人は酒を注いだ盃を
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