今の清朝人も其一つで、又蒙古人よりずつと前には、支那内地へ國を建てた、南北朝時代の北朝の拓跋魏《タクバツギ》などは索虜と呼ばれた位だから勿論辮髮をやりましたが、どんな風にしたか委細には知れないのであります。蒙古人も辮髮をしましたが、其の辮髮の仕樣は人が餘り注意せぬですけれども、一寸面白い、蒙古人は頭髮を大半剃り落します。唯前額の上だけ前髮を殘します。この前髮は眉毛の邊まで垂れる、それから此邊りを悉く皆剃つて仕舞ひますが(この時圖を描く)、耳の上に當る此處だけを少し殘して置きます。ここの髮は成るべく伸ばして之を辮みて長く耳の側に垂れる。だからどういふ風に描いたら宜いですか、まあ……私繪が薩張り下手だが斯ういふ風にして(笑聲起る)、斯うです。辮髮を兩方の耳の側へ二本垂れる。前髮を殘して居るだけは可愛らしい。何んですな、日本の蒙古襲來など云ふ圖がありますが、それを能く注意して見ると、二本の辮髮を垂れてあるのがあります。
 それから女の方の服裝は男と同じことです。それで結婚するまでは、外國人などから見ると男か女かまるで分らぬさうです。結婚すると少し頭髮の飾が違ひます。衣服は男女同樣で、唯少し女
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