二百五十四年の八月まで、それですから足掛け九ヶ月居りました。九ヶ月の間蒙古の状態を能く視察しました。
 それから一番後のマルコ・ポーロといふ、是は諸君も能く聽いて居るだらうと思ひますが、歐洲を出發したのが千二百七十一年で、歐洲へ歸つて來たのが千二百九十五年であります。二十五年ばかり歐洲を留守に致しました。十七歳の折りに出發しましたから四十二歳位の時分に歸つて來たのです。併しながら此人の蒙古の方に居つたのは此時代悉く皆ではありませぬ。蒙古に居つたのは千二百七十五年から千二百九十二年まで十八年ばかりであつて、此人が一番長かつた。けれども此人は千二百七十一年から九十五年まで、兔も角も自分の家即ちイタリーのベニスですが、其處へ二十五年目に歸つて來る。其時にはまるで蒙古人の風をして毛皮の衣服を着て二十五年目で故郷へ歸つて來ましたが、故郷の者は既に二十五年前にマルコ・ポーロが出たきり歸つて來ないので、彼奴は死んだのだらうて思つて居つた。今時分は佛樣になつて居るだらうと――耶蘇教ですから佛樣はないけれども、皆で其跡始末をして、此人の遺した家は親族で保存して居りましたが、其處へ以てマルコ・ポーロが殆ど見たこともない蒙古人の風をして歸つて來ましたから皆の者は喫驚《びつくり》して彼奴詐僞師に違ひないなど申す。前に十七歳で發つて今年四十餘歳で歸つて來ましたので、隨分窶れ果てて歸つて來ましたから他の人はどうも分らない。もと極めて親密なる朋友であつた人でもどうもマルコ・ポーロとは違ふ、あんな白髮はなかつたなどと云うて(笑聲起る)二十五年前と今日とを一緒にして居る。さういふことで殆どマルコ・ポーロは困つたのです。併しいろいろ事情を述べて、さうして家を親類から返して貰つたといふことです。以上申述べた是等の三人の紀行が蒙古人の風俗などを調べる所の一番好い材料になる。
 其他に未だいろいろありまするが、先づ大體はこの三人の紀行に依て御話をしようと思ふ。けれども前に申した通り實は此等の書物を讀んで、彼方此方同じことを纏めることは隨分な仕事であつて最初私は一日か二日で出來るだらうと思つてやつて見た所がどうしてなかなか一週間も掛らなければ出來ぬことを發見しました、左樣の次第故自然今日は極めて不完全なお話ししか出來ぬと思ふ。
 家屋(住所) 一番先きに家屋の話をしようと思ふ。家屋といふ言葉は宜くないかも知れ
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