ぬ。或は寧ろ住所といつた方が宜いかも知れぬ。無論蒙古人の住んで居るのは帳幕の中である。それは必ずしも珍しいことでなくして、蒙古人より以前に匈奴とか突厥とか總て支那の北方に居つた所の夷狄は、みな帳幕の中に住んだので蒙古人のみが帳幕に住んだのではないから、さう不思議ではないけれども、併し帳幕はどんな形で、どんな風であるかと云ふことに就きては、匈奴や突厥ではどうもよくは分らない。蒙古人に至つて前の三人の記録に依て、最も明かに分るのであるから、先づ其事を申さうと思ふ。
 帳幕は木を以て圓形に組合はすのであります。樹の枝などを寄せ集めて造るのでありますが、それは圓く造りまして其縁へは皮でずつと壁の代りに卷くです。其皮は大抵いろいろのチョークとか其他のもので白く塗るです。或物は黒く塗るのがあるけれども、白いのが普通である。其屋根は矢張り樹の枝で圓錐形に造るのであります。其上を矢張り皮で被ふのであります。一番の中央の所は穴をあけてある。其處は煙出しと明取《あかりと》りになる。だからして形を描いて見ると斯ういふ風になる(この時圖を描く)。斯ういふ風に圓くして、此處だけが穴があいて居る。さうして此處は即ち前に申す通り明取りと煙出しになつて居る。蒙古人の火を焚くのは此處の中央で、煙は此處を上る。無論家の中で焚くのですが外部は皮で卷きてあるから平素は見えないけれども、今は了解に都合よきやうに見さしたのです(笑聲起る)。それからこの煙出し兼明取りの所はいろいろに色取るのです。此處は或は金を塗る人もあるし、それから黒くする人もあるし、青くする人もある。大抵同じ部族に屬する所のものは彼處の色で區別する。帳幕の色は違はない、此處の色が違ふ。彼處を赤く塗つた人はないけれども――ないこともないでせう、私見て來ないので能く分らないけれども(大笑)、青とか金とか言ふのはあるけれども、赤は餘りないさうです。それから此廣さです。此處から此處の廣さは是れは一樣には無論往かない。身分の高い人は大きい所に居りまして、身分の低い人は小さい處に居ますから一樣には言へないが、併し一番廣いので帳幕の直徑が三十呎です。三十呎四方ですから隨分大きいです。五六間ばかりです。先づ大抵此部屋の長さほどある是れが圓くなつて居りますから無論面積は此部屋よりも隨分廣いです。それからして入口は屹度南向きである。そして其處には皮で幕を垂れて
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