あらうか。即ち贅澤と思惟されてゐた砂糖を絶つのである。
その一例に、或る家では(今相當の資産家なのだが)三日間その家の主人が、尾籠な話ではあるが下便所へいつて、鹽黄粉で餅を喰べるのである。御念の入つた事には紺の仕事股引をはき簑を着、しかも跣で。
これによつて推察すれば、昔の貧窮時代簑を着たまま正月の餅を食はねばならなかつたので、現在生活が樂になつても治にゐて亂を忘れずといふ律義な農民の心が、かかる家風をつくつたのであらう。
百姓の御馳走といつても、野菜料理に數の子鹽鮭位である。師走の暮れには鹽鮭を藁つと[#「つと」に丸傍点]にして親類や知己に贈る。その時鮭の尻尾のところに屹度藁草履のかはりに銀貨や白銅のおひねりをつけたりもする。この鹽鮭が大抵御正月の御馳走になるのだ。
鹽鮭の昆布卷は、田舍の正月料理のうちでうまいものの一つである。昆布の眞ん中を藁みご[#「みご」に丸傍点]でくくるのも甚だ野趣があつていゝ。それからあの頭を細かにきつて酢漬にする。子供の時あの軟骨をかり/\喰べるのが好きだつた。
鍬入り
四日は鍬入り、即ち農のはじめだ。畑に入る式をする。大豆と
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