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筑波の天狗が散り初めたので、百姓の手を借りて押へよう。天狗と見たら二念無く打殺せといふのだ。あぶなくて仕方がない。のみならず壬生藩の軍令には、天狗打取候はゞ身に附候品々被下之とあり、尤こんな軍令がなかつたとしても、分捕らずにおく正直者もあるまい。
三
天狗狩の中で哀れを止めたのは西岡邦之助等の客分だつた。元來諸國から馳せ參じた有志で、水戸の内紛に腕貸する程馬鹿ではないから、藤田等が筑波を去つた後一月近く山にゐた。八月二十二日壬生勢に追はれて、鹿島に入つたが、佐倉棚倉の兵と神保山城守に追ひ廻され、十人二十人づゝ毎日のやうに殺され、霞浦のまはりを逃げ歩き、元ゐた筑波の西まで落ちのびながら、落ち切れず、所在の部落に天狗塚を殘して全滅した。神保山城守は下妻では天狗に燒打されて逃れ去つた大將だが、湊の包圍戰では手兵を失ひながら一歩も引かず、近習二三人と床几に凭りて陣地を守つたお旗下だ。
八月十八日、上野の人千種太郎、鬼澤幸介、眞家《まい》の眞家源左衛門に先づ殺された。白縮緬筒袖胴着、小柳萬※[#「竹/助」、第3水準1−89−65]襠高袴、琉
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