伊介野口平諸澤健之介野口村長役關澤源兵衛夫より長倉へ赴候との風聞
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 文献歴々。天狗がやうやく足もとを見透かされ初めたあかしである。庄屋の打こはしは天狗の宿をしたせゐであらう。神官がやつつけられてゐるのは天狗黨に加はつた神職の多いことを暗示する。
 河内郡今稻敷[#「今稻敷」は割り注]の各村では、天狗が押借に來れば、駒塚昆沙門堂の鐘をついて、竹槍鐵砲で征伐することを申合せたが、福田村名主金藏方へ金策に來た天狗は、かくと聞いて安中へ逃げ出した。皆は其後へ押込んで金藏方居宅文庫藏酒倉等を灰にし、金藏の逃げ込んだ徳龍寺まで燒いた。

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 筑波山集屯の賊徒共悉御誅伐可有之旨其筋より御達に付村々に於ても其旨相心得賊徒共金銀押借に罷越候はゞ勿論潜伏又は徘徊致候はゞ竹槍其他得物を以無二念打殺可申候依て一村限り小前末々迄相互に申合置賊徒共へ同意内通致候者候はゞ假令親類懇意たり共聊無容赦取押最寄同村先へ早々可申出若見遁置追て相知候に於ては嚴重取糺候條難有差心得組合限申合萬行屆候樣大小惣代並寄場役人共精々世話可致
  八月十八日[#地から3字上げ]關東御取締
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 筑波の天狗が散り初めたので、百姓の手を借りて押へよう。天狗と見たら二念無く打殺せといふのだ。あぶなくて仕方がない。のみならず壬生藩の軍令には、天狗打取候はゞ身に附候品々被下之とあり、尤こんな軍令がなかつたとしても、分捕らずにおく正直者もあるまい。

          三

 天狗狩の中で哀れを止めたのは西岡邦之助等の客分だつた。元來諸國から馳せ參じた有志で、水戸の内紛に腕貸する程馬鹿ではないから、藤田等が筑波を去つた後一月近く山にゐた。八月二十二日壬生勢に追はれて、鹿島に入つたが、佐倉棚倉の兵と神保山城守に追ひ廻され、十人二十人づゝ毎日のやうに殺され、霞浦のまはりを逃げ歩き、元ゐた筑波の西まで落ちのびながら、落ち切れず、所在の部落に天狗塚を殘して全滅した。神保山城守は下妻では天狗に燒打されて逃れ去つた大將だが、湊の包圍戰では手兵を失ひながら一歩も引かず、近習二三人と床几に凭りて陣地を守つたお旗下だ。
 八月十八日、上野の人千種太郎、鬼澤幸介、眞家《まい》の眞家源左衛門に先づ殺された。白縮緬筒袖胴着、小柳萬※[#「竹/助」、第3水準1−89−65]襠高袴、琉
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