苗字は芳村といつたかと思ふ、松竹に入つた女優に、ふく子さんといふのがあつた。大谷袵子姫とクラスメートたることを誇つてゐたが、一年足らずで淪落のふちに落ちて行つた。
 周防から支那在留の商人に嫁して、結婚前後の低級愚劣なおのろけを、書くも書く、三度も四度も書いて來たので、あなたは黄海の浪を見たであらう、南京城の石垣も見たであらう、なぜそれを寫さぬか。周防の片田舍も支那の内地も見わけられぬ目なら楊子江へ身を投げておしまひなさいと言つたら、間もなく客死の報が傳はつた。私の言つたことに腹を立てゝ入水したわけでもあるまいが、あれ程艱まされたことも無い。
 知りたいと思ふ人達の消息は備後の海に沈んだ或る一人を除いて皆分つた。
 幸福だと思はれた人が大して幸福でも無く、花やかだつた人であべこべに零落したのもある。天分のゆたかな女でも、大かた結婚と同時に駄目になるらしい。
 Rの死を傳へ聞いた日の妻の日記には、
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今井邦子氏より書留封書來る、内容はK・Rの死を傳へたるなり。
良人は今にして何も思ふことなからん、また有るべき筈もなし、我れひそかに佳人Rの死をいたむこと切なり。
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