供達は、酒田に平和に暮して居ります。
文學好の美しい從妹に感化されて、あの北の暗いしめやかな町に横瀬夜雨樣の詩に泣きつゝいつまでもいつまでも廣い本堂により添つてゐた二人の少女、今沁み沁みと偲んで居ります。春風秋雨、いく年か經て人皆變はりました。
[#地から3字上げ]大阪 M・K
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「春風秋雨、いく年か經て人皆かはりました」變つたのは私ばかりでは無かつた。
 河井さんはRの死を知らなかつた。『何時だつたか、火のやうな字で、どうしていゝんだか分らぬ苦悶を訴へて來たが、僕だつて仕やうが無いから、それなり捨てゝ置いた。今なら何とか考へてもやれたし、慰めてもやれたんだがね』
 Rは常陸に來た時、宿命を説いて、『わたしのやうな人間が軍人に嫁いだのも仕かたが無かつたのですから、あなたが忍從の世を送らねばならぬ事もあきらめてください。お母さんのお亡くなりになつたあとはお姉さんにお世話になる積りで』と泣いた。生死ふたつながら夢である。
 渡瀬淳子(澤田正二郎の先妻)と星ヶ岡で踊つた江森美子さんが、もとの家に居られたのは意外だつた。他の人々の轉々定めなさに比べては珍らしく思はれる。
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