五葉の松
横瀬夜雨
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)肌《はだ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)木|肌《はだ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている」、第4水準2−13−28]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例))だん/\に
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庭に生えてゐる木に、親しみを持つは人情である。故郷を離れた人にとつても、然でなければならない。私のやうに一生を蝸廬に過して足一歩も出でぬ者にしては、眼前數尺の自然は殆んど全天地である。一木一草にも感慨は伴ふ。
何代か前に菩提所から移したといふ五葉の松がある。座敷からは幹しか見えず、屋根を痛めるばかりなので、伐らせようとしたら、六七里四方にこれ程の五葉はありません、惜しいぢやありませんかと庭師に留められて、五六間ほど西へ引かせた。高い幹を途中から伐つたので、今のところ形はまづい。
もとは根のぢき上から枝が出てゐて、梯子無しに登れたのが、「平川戸の爺」といふが庭はきしてる頃、箒を使ふのに邪魔だと、下の枝からだん/\に伐つて、ずんぐりにしてしまつたのだといひ傳へる。枝の痕がたがひちがひに瘤々になつてずつと上まで續いてゐる。
小さんのはなしに、庭師の八五郎が殿さまの前へ呼ばれて松を移すことをいひつかる、八五郎しどろもどろに御座り奉つて三太夫をはら/\させるといふのがあつた。其の時八五郎は松に酒を呑ませ、根へするめを卷いて引けば枯れないと説いてゐたが、私の雇つた留さんも「松に呑ませる酒」を買はせた。するめは忘れたかしていはなかつた。前にも入口の松の赤くなつた時、酒を呑ませれば生きかへると、薄めてかけたが、不思議にみどりの色をとり戻した。根へ酒を注ぐ、土に泌みる、泌みて腐る、何か肥料の成分となるのであらう。それにしては松に限つて酒がいるのはどうした理くつか、讀めない。するめに至つては猶さらだ。
五葉に劣らぬふるい木にもつこく[#「もつこく」に傍点]がある。これも長年手入をしないので、のび法題にはなつてるが、むかしから少しも太らない。子供の時分兄とふたりで「とりもつち」をこさへる爲に皮を剥いたことがあつた。其ところが疵になつてゐる。太らぬのは其せゐではあるまい。
桃栗三年柿八年といふが、桃は白桃がある、何年目から生つたか忘れたが、生つても、石のやうで一つも喰へぬ。柿は衣紋八彌百匁御所といろ/\あるが、皆若い。栗は十年しか持たない。二年目には鐵砲蟲につかれるのだ。退治すればいゝのだけれど、女ばかりの家では梯子をかけても上れず、枯れるそばから新しく播いて、子供らにさびしい思ひをさせぬやうにしてゐる。大きな丹波栗がある、これは生つた實の十中八は蟲につかれる。そのかはり枝もたわゝに累々と生り下る光景は見事だ。支那栗も三本ある。生りはじめたばかりだから、傳へられるやうにやがて俵に詰める程多量に落ちるかどうか。粒は小さい。
明治三十五年に大演習があつて、うちへは二十四頭の馬が泊つた。その時生えたばかりの頭を馬にくはれた栗の木があり、それからまた伸びたけれど實が生らず、五年たつても十年たつても生らない。この木に限つて小豆粒大の油蟲が木|肌《はだ》一面にたかる。鐵砲蟲が入らぬ樣子なので實はならなくても木が採れゝばと捨てゝおいたら、去年から七つ八つ生りはじめた。素ばらしい大きさだ。子供らの喜びたら無い。
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はじめて生つた栗の毬
昨日は一人で來て見たが
昨日もやつぱり青い毬
風がゆすれば落ちるよと
ママは私をだましたが
風は立つても青い毬
私の五つでまいた栗
栗は今年で三年目
なぜなぜ今日の青い毬
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梅は豊後梅。よく村の子供にねらはれる。三千坪程の中に六十五戸の家敷が構へてあるので、生り物の木を植ゑとく家はいくらもない。私の家には路を隔てゝ向ふかはに前屋敷があり、梅はそこにある。垣根はあるのだが、村の子供らには鐵條網だつてかなはない。青いうちからむぐりこんで取つてしまふ。帶廣の町に勤めてゐる兄は、大連の弟夫婦が子供らを連れて客に來た時、すつかり降參して「大連の馬賊」と呼んでゐた。私も年々村の馬賊に弱らされる。といふのは前いつた向屋敷には孟宗が植ゑてあつて、春になると筍が出る。其筍を出るそばから頭をむしつて取つてしまふのだ。何にするかといへば、竹の皮で梅ぼしをつゝんでちゆちゆ[#「ちゆちゆ」に傍点]とすゝるのである。すゝつてゐる内に皮がべにで染めたやうになる。子供らはそれが嬉しくて群をなして孟宗林に闖入するのだ。どんなにか
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