五月雨髮


  見しはたゞ

淀の川瀬の水車
淀の川舟のりもせず
峰の白雲ふみわけて
終に吉野の花も見ず

見しは青葉の嵐山
保津の流に筏して
岸つたひ行く舞姫に
しぶきかけたる川をとこ

  知恩院

春酣にして大輪の
牡丹咲いたる欄干や
徃き來の人も紅の
花には泥《なづ》む知恩院

石と化《な》りぬる楠の橋
越えがてにして振袖の
長きは肩に※[#「ころもへん+吉」、175−上−21]《つまど》りて
躊躇《やすら》ふ君よ、こちら向け

  春日

軒の褄なる蝉燈籠《とうろう》の
蝉の羽くらき若葉蔭
まだ角も出ぬ小牡鹿《さをしか》に
驚かされし儷人《よきひと》よ

苔緑なる石の上に
右手なる菓子を投げたまへ
戀はせじものふたゝびは
君が袂もひかざらむ

  夕

眉をひらいて歸れとや
君、己が上を知らずして
夕ぐれ一人荒磯の
暗きに立つを危むか

心やすかれ、引汐に
沈むとすれど立ちかへる
浪は仇なる白濱の
砂《いさご》は終《つい》の墓ならず

  やちまた

芒を亂す原の風
小霧に濕る丘の草
騷しかりし青山の
秋は今はや暮れぬかな

光にうとき夕顏の
花と見えしに孤兒《ひとりご》の
空しき骸を歛めたる
柩は穴に落されぬ

風の通へる八千俣に
涙の顏を吹かれけむ
斯の子前髮黒くして
瞳の色の澄めりしが

夢ほの/″\の有明に
母やも見えし小枕の
乾かで終に美はしき
眉は動かずなりしてふ

霜より先きに人散りて
かけたる土は凍りけり
草に隱《いでい》る月を追うて
聲なき死人《ひと》は墓にかくれぬ
  〜〜〜〜〜〜〜


  その夜更けて


水ほの白き湖《みづうみ》の
汀《みぎは》の櫻花|散《ち》りて
嫁《とつ》ぐか君は筑波根の
八重立つ雲の奧深《おくふか》く

蘭麝《らんじや》馨《かを》れる閨《ねや》の戸《と》に
尾呂《をろ》の鏡《かゞみ》を手にすれば
影に溺《おぼ》るゝ山鳥《やまどり》の
頬《ほ》に紅《くれなゐ》の色《いろ》潮《さ》すを

花やかなりし獨寢《ひとりね》の
夢の浮橋《うきはし》中絶《なかた》ちて
丸《まろ》がれ易き黒髮に
瑠璃《るり》の簪《かんざし》かゞやかし

歸《とつ》ぐかあはれ月波根の
群立雲《むらたつくも》の遠方《をちかた》に
山影《やまかげ》落《おつ》る湖の
浪間の月を形見にて

しるしなき戀をもするか夕されば
ひとの手卷きてねなん子ゆゑに
  〜〜〜〜〜〜〜


  なづさふ野火


白雲低き足柄の
山は遙に亙《わた》れるを
いかゞ越えけむ西風に
雁鳴く野とはなりにけり

緑《みどり》沈《しづ》める川上《かはかみ》の
峽《かひ》よりかけて斷續《きれ/″\》に
見ゆる林のおぼろ/\
秋|際無《はてしな》き霧の海

踏《ふ》むに音せぬ曉の
茅萱《ちかや》の露に眉ぬれて
行けども寢《いぬ》る家無き子の
慰藉《なぐさめ》失《う》せし野に立てば

光をつゝむ青雲の
向伏《むかぶ》す極み秋は來て
長《なが》き堤《つゝみ》の東《ひんがし》に
殘れる月の纖《ほそ》きかな

「今は別れとなりにけり
母よ」と呼べど言《ものい》はで
父と並べる墓《おくつき》の
涙は終に見ざりしか

路遠くして獨《ひとり》行《ゆ》く
旅は心のさびしきを
尾花亂るゝ古里に
遺《わす》れし妻を戀ふれども

さもあれ馴れし小月波《おつくば》の
山は霧より現はれぬ
山は霧より現はれて
朝《あさ》はふたゝび此《こゝ》に在《あ》り

風は胡蝶の羽翼《はね》を裂《さ》き
霜は猿《ましら》の食《かて》を奪《うば》ひ
秋|老《お》いにける朝毎《あさごと》に
うつろふ空の高けれど

垂尾地《たりをち》に摺《す》る山禽《やまどり》の
出《い》で入《い》るあたり草枯れて
なづさふ野火《のび》の煙《けむり》のみ
動《うご》くと見えて日《ひ》は寂寞《しづか》に
  〜〜〜〜〜〜〜


  星夜


腰にからめる紅《くれなゐ》の
帶《しごき》は虹《にじ》に似たるかな
衿にほのめく白妙《しろたへ》は
谷につゝめる雪と見ん
  美《うつく》しき舞姫《まひひめ》よ

鳥は霞の天《そら》に舞ひ
蝶は花野《はなの》の地に迷《まよ》ふ
君《きみ》若草《わかくさ》を枕して
夢見《ゆめみ》る勿れ春の野に
  美しき舞姫よ

笄《かうがい》光《ひか》る黒髮は
解《ほど》かば風に亂れなむ
せめてはかくせ扇もて
月の影ある眉の跡《あと》
  美しき舞姫よ

星の夜、姉に伴《ともな》ひて
祇園《ぎをん》の町をさまよへば
櫻はちんぬ、しかれども
おさなかりけるうき人の
俤《おもかげ》に似《に》し君《きみ》を見《み》て
うらぶれわたるわれさへも
西の京の去りかねて


  やれだいこ
    (烏水の家に宿りて)


花なる人の
  こひしとて
月に泣いたは
  夢なるもの

たて綻
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