しが夜雨君と始めて會つたのは卅二年の一月で、出京後間もなく常州に訪問した時です、小山から水戸線に乘りかへて、鬼怒川を渡る比は、黒ずんだ冬の空も晴れ渡り、巽の方眉を壓して白雪を戴いた秀麗な山が聳えてをりました。これが有名な筑波山で、さながら夜雨其人に面會した心持が致しました。ソレは此らが君の詩に因て、深くわれ/\の頭に染み込んでをつたからです。下館で下りて二里半の道を行くと、筑波は終始帽子の廂を離れません。平原的丘陵の幾つを越え、霜柱が崩れて黝土の泥濘を捏ね返した田舍道を大寶迄行くと、東に向て眞正面に、一叢茂つた木立の間に、白壁と藁葺が見えます。それが君の居村です。溝川の縁を幾曲り、村に入ると南に向うた門搆への家があります。最うトツプリと昏れてはをりましたが、君がいそ/\出迎へらるゝ姿は、豫て承知はしてをつたものゝ、まことにイタイケで何ともいへぬ感じが致しました。此夜はまことに面白く隔意なく語つて眠に就きましたが、翌朝母君の御たのみで君の身體を診察した時は、未だに得忘れぬ、萬感一時に胸を衝いて、耻し乍ら不覺の涙がこぼれました。母君の御咄には、五六歳の頃から病氣が起て、東京迄も連れて出て、名高いといふ醫者には誰一人診せぬものなく、隨分苦勞を致しましたが、とう/\全治はせず、小學校に通ふ頃は、徃返が難儀で、心外にも他の子供等の嘲りを受くる折もありました。自分でもソレが厭に成り、終には中途で退學して、内にばかり閉ぢ籠つて、倉の中から本を引き出しては讀んで居りました。二三年前には丸で歩行の利かぬヒドイからだに成りましたが、今ではよい方です。とても長生は出來ますまいと思ひますが、せめて身體の苦痛だけでも除いて遣りたいものです。といはれました。君の病症を並べ立てるのは、醫師の徳義上から憚りますから、略して申しませぬ。つまり身體いづれの箇所も一として故障のない所はない。さりとて世人の嫌惡する如き惡性の疾患ではありませぬ。わたくしは病氣は皆固て仕舞て今後増惡の虞なきこと、壽命は艱生次第常人の年齡に達し得べきこと抔、慰諭しましたが、之が醫者であつてこそ異まなかつたものゝふだんの人ならどの位驚いたでしよう。夜雨君自らでさへも、どうして自分が活きてをるかを不思議に思てをられた位です。しかし私の驚いたのは君の身躰《からだ》ではなかつた。身躰《からだ》ではないが、君が此|※[#「兀+王」、第3
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