た。「近松少佐! あの左手の山の麓《ふもと》に群がって居るのは何かね。」
「……?」
 大隊長にはだしぬけで何も見えなかった。
「左手の山の麓に群がってるのは敵じゃないかね。」
「は。」
 副官は双眼鏡を出してみた。
「……敵ですよ。大隊長殿。……なんてこった、敵前でぼんやり腹を見せて縦隊行進をするなんて!」絶望せぬばかりに副官が云った。
「中隊を止めて、方向転換をやらせましょうか。」
 しかし、その瞬間、パッと煙が上った。そして程近いところから発射の音がひびいた。
「お――い、お――い」
 患者が看護人を呼ぶように、力のない、救を求めるような、如何《いか》にも上官から呼びかける呼び声らしくない声で、近松少佐は、さきに行っている中隊に叫びかけた。
 中隊の方でも、こちらと殆んど同時に、左手のロシア人に気づいたらしかった。大隊長が前に向って叫びかけた時、兵士達は、橇から雪の上にとびおりていた。

       五

 一時間ばかり戦闘がつづいた。
「日本人って奴は、まるで狂犬みたいだ。――手あたり次第にかみつかなくちゃおかないんだ。」ペーチャが云った。
「まだポンポン打ちよるぞ!」
 ロ
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