じゃって笑いよるわいの。」
「うら[#「うら」に傍点]のはそれでも買うたんじゃぜ。」じいさんは自分の着物を省みた。それは十五年ばかり前に、村の呉服屋で買った、その当時は相当にいゝ袷柄《あわせがら》だった。しかし、今ではひなびて古くさいものになっていた。ばあさんの手織縞とそう違わないものだった。
「もっとましなやつはないんか?」
「有るもんか、もう十年この方、着物をこしらえたことはないんじゃもの!」ばあさんは行李を開けて見た。
 絹物とてはモリムラ[#「モリムラ」に傍点]と秩父が二三枚あるきりだった。それもひなびた古い柄だった。その外には、つぎのあたった木綿縞や紅木綿の襦袢や、パッチが入っていた。そういうものを着られるだろうと持って来たのだが、嫁に見られると笑われそうな気がして、行李の底深く押しこんでしまった。
 ばあさんは、屋内の掃除から炊事を殆ど一人でやった。園子は朝起ると、食事前に鏡台の前に坐って、白粉をべったり顔にぬった。そして清三の朝飯の給仕をすますと、二階の部屋に引っこもって、のらくら雑誌を見たり、何か書いたりした。が、大抵はぐてぐて寝ていた。そして五時頃、会社が引ける時分になると、急に起きて、髪を直し、顔や耳を石鹸で洗いたてて化粧をした。それから、たすき掛けで夕飯の仕度である。嫁が働きだすと、ばあさんも何だかじっとしていられなくなって、勝手元へ立って行った。
「休んでらっしゃい。私、やりますわ。」園子はそう云った。
「ヘエ。」
「ほんとに休んでらっしゃい。寒いでしょう。」
「ヘエ。」ばあさんは火を起したり、鍋を洗ったりした。汚れた茶碗を洗い、土のついた芋の皮をむいた。戸棚の隅や、汚れた板の間を拭いた。彼女はそうすることが何もつらくはなかった。のらくら遊ぶのは勿体ないから働きたいのだった。しかし、それを嫁にどう云っていゝか、田舎言葉が出るのを恐れて、たゞ「ヘエ/\」云っているばかりだった。
「じゃ、これ出来たら下しといて頂だい。」
 おしかが、何から何までこそこそやっていると園子はやがてそう云い置いて二階へ上ってしまうのだった。おしかは鍋の煮物が出来るとお湯をかけた。
「出来まして……どうもすみません。」清三が帰ると園子は二階から走り下りてきて食卓を拡げた。
「じいさん、ごぜん[#「ごぜん」に傍点]じゃでえ。」ばあさんは四畳半へ来て囁いた。
「ごぜん[#「ごぜん」に傍点]なんておかしい。ごはん[#「ごはん」に傍点]と云いなされ!」清三はその言葉をきゝつけて、妻のいないところで云いきかした。
「そうけえ。」
 しかし、おしかはどうしてもごはん[#「ごはん」に傍点]という言葉が出ず、すぐ田舎で使い馴れた言葉が口に上ってきた。
「おばあさん、もうそんな着物よして、これおめしなさいましな。……おじいさんもふだん着にこれを。」園子はやがて新しく仕立てた木綿入りの結城縞を、老人の前に拡げた。
「まあ、それは、それは。――もうそなにせいでもえいのに。じいさん、えい着物をこしらえてくれたんじゃどよ。」
「ほんとに、これをふだんにお召しなさいましな。」園子は、老人達の田舎縞を知人に見られるのを恥かしがっているのだった。
「どら、どんなんぞい。」園子が去ったあとでじいさんは新しい着物を手に取って見た。「これゃ常着《つねぎ》にゃよすぎるわい。」
「袷じゃせに、これゃ寒いじゃろう。」ばあさんは、布地を二本の指さきでしごいてみた。
 着物は風呂敷に包んだまゝ二三日老人の部屋に出して置かれたが、やがて、ばあさんは行李にしまいこんだ。そして笑われるだろうと云いながら、やはり田舎縞の綿入れを着ていた。
「この方が温《ぬ》くうてえい!」

      五

 じいさんは所在なさに退屈がって、家の前にある三坪ほどの空地をいじった。
「あの鍬をやってしまわずに、一挺持って来たらよかったんじゃがな。」
「自分が勝手にやっといて、またあとでそんなこと云いよら。」ばあさんは皮肉に云ったが昔のように毒々しい語調はなかった。
「あの時は、こっちに鍬がいろうとは思わなんだせにやったんじゃ。」
 いつのまにか彼は近くで小さい鍬を買ってきて、初めて芽を吹きかけた雑草を抜いて土を掘り返した。
「こっちの鍬はこんまいせにどうも深う掘れん。」彼は傍に立って見ているばあさんと、田舎の大きな深く土に喰い込む鍬をなつかしがった。そして、二度も三度も丹念に土を掘り返した。
「こんな土を遊ばしとくんは勿体ない。何《なん》ど菜物でも植えようか。」とじいさんは、ばあさんに相談した。
「これでも、うら等が食うだけの菜物くらいは取れようことイ。」とばあさんは云った。
 やがて、彼は種物を求めて来ると、
「こっちの人は自分のしたチョウズ[#「チョウズ」に傍点]まで銭《ぜに》を出して他人《ひと》に
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