汲んで貰うんじゃ。勿体ないこっちゃ。」と呟きながら、大便を汲んで掘り返した土の上に振りかけた。
「これで菜物がよう出来るぞ!」
「御精が出ますねェ。」園子は二階から下りて来て愛嬌を云った。
「へえェ。」じいさんは田舎の旦那に云うような調子だった。
「何かお植えになりますの?」
「へえェ。こんな土を遊ばすは勿体ないせに。」
「まあ、御精が出ますねえ。」そう云って、園子はそっと香水をにじませた手巾《ハンカチ》を鼻さきにあて、再び二階へ上った。きっちり障子を閉める音がした。
「お前はむさんこ[#「むさんこ」に傍点]に肥《こえ》を振りかけるせに、あれは嫌うとるようじゃないかいの。」ばあさんは囁いた。
「そうけえ。」
「また、何ぞ笑われたやえいんじゃ。」
「ふむ。」とじいさんは眼をしばたいた。
「臭いな、こんじゃ仕様がない。」清三は会社から帰ると云った。「菜物なんか作らずに草花でも植えりゃえい。」
「臭いんは一日二日辛抱すりゃすぐ無くなってしまう。」
「そりゃそうだろうけど、菜物なんかこの前に植えちゃお客にも見えるし、体裁が悪い。」
「そうけえ。」じいさんは解しかねるようだった。
「きれいな草花を植えりゃえい。」
「草花をかいや。」じいさんは一向気乗りがしなかった。
「草花を植えたって、つまりは土を遊ばすようなもんじゃ。」
 彼は腰を折られて土いじりもしなくなった。それでも汚穢屋《おあいや》が来ると、
「こっちの者は自分のしたチョウズまで銭を出して汲んで貰うんじゃ。……勿体ないこっちゃ。」と繰り返した。「肥タゴが有れゃうら[#「うら」に傍点]が汲んでやるんじゃがな。」
 汚穢屋の肥桶を見ても彼は田舎で畑へ肥桶をもって行っていたことを思い出しているのだった。青い麦がずん/\伸び上って来るのを見て楽んでいたことを思い出しているのだった。
 やがて桜の時が来た。じいさんとばあさんとは、ぶっくり綿の入った田舎の木綿縞をぬいだ。
「温《ぬ》くうなって歩きよいせに、ちっと東京見物にでも連れて行って貰おういの。」
「うむ。今度の日曜にでも連れて行って貰うか。」
「日光や善光寺さんイ連れて行ってくれりゃえいんじゃがのう。」
「それよりぁ、うらあ浅草の観音さんへ参りたいんじゃ。……東京イ来てもう五十日からになるのに、まだ天子さんのお通りになる橋も拝見に行っとらんのじゃないけ。」
 両人は所在なさに、たび/\こんな話を繰り返えした。天子さんのお通りになる橋とは二重橋のことだった。
「今日、清三が会社から戻ったら連れて行ってくれるように云おういの。」
「うむ。」じいさんは肯いた。
 しかし、清三は日曜日に二度つゞけて差支があった。一度は会社の同僚と、園子も一緒に伴って、飛鳥山へ行った。
「それじゃ花も散ってしまうし、また暑くなって悪いわ。」
と園子は気の毒そうに云った。
「明日でも私御案内しますわ。」
 両人は園子に案内して貰うのだったら全然気がすゝまなかった。どこまでも固辞した。
 清三夫婦が日曜日に出かけると、両人は寛ろいでのびのびと手を長くして寝た。誰れ憚る者がいないのが嬉しかった。
「留守ごとに牡丹餅《ぼたもち》でもこしらえて食うかいの。」とばあさんは云い出した。
「お。」
「毎日米の飯ばかり食うとるとあいてしまう。ちっとなんぞ珍らしい物をこしらえにゃ!」
 けれども米の牡丹餅も、田舎で時たま休み日にこしらえて食ったキビ餅よりもうまくなかった。じいさんは、四ツばかりでもうそれ以上食えなかった。
「もっと食いなされ。」ばあさんは、二ツのお櫃の蓋《ふた》に並べてある餅をすゝめた。
「いゝや。もう食えん。」
「たったそればやこし……こんなに仰山あるのに、またあいらが戻ったら笑うがの。」
「そんなら誰れぞにやれイ。」
「やる云うたって、誰れっちゃ知った者はないし、……これがうち[#「うち」に傍点]じゃったら近所や、イッケシの子供にやるんじゃがのう。」
 ばあさんは田舎のことを思い出しているのだった。うちとは田舎の家のことだった。
「お、やっぱりドン百姓でも生れた村の方がえいわい。」
 夕方、息子夫婦がつれだって帰ってきた。
「お土産。」と園子は紙に包んだ反物をばあさんの前に投げ出した。
「へえエ。」思いがけなしで、何かと、ばあさんは不審そうに嫁の顔を見上げた。
「そんな田舎縞を着ずに、こしらえてあげた着物を着なされ。」と、嫁より少しおくれて二階へ行きながら清三が云った。
 ばあさんは、じいさんの前で包みを開けて見た。両人には派手すぎると思われるような銘仙だった。
「年が寄ってえい着物を着たってどうなりゃ!」両人はあまり有りがたがらなかった。「絹物はすぐに破れてしまう。」

      六

「あれに連れて行《い》て貰うよりゃ、いっそうら[#「うら」に傍点]等
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