》いや、中古《ちゅうふる》の鍬まで世話になった隣近所や、親戚にやってしまった。
 老いた家無し猫は、開け放った戸棚に這入って乾し鰯を食っていた。
「お、おどれがうま/\と腹をおこしていやがる。」ばあさんは、それを見つけても以前のようにがみ/\追い払おうともしなかった。
 ラクダの外套を引っかけて、ひとかどの紳士らしくなった清三に連れられて両人が東京駅に着いたのは二月の末のある晩だった。御殿場あたりから降り出した雪は一層ひどくなっていた。清三は駅前で自動車を雇った。為吉とおしかは、生れて初めての自動車に揺られながら、清三と並んで腰かけている嫁の顔をぬすみ見た。嫁は田舎の郵便局に出ていた女事務員に一寸似ているように思われた。その事務員は道具だての大きい派手な美しい顔の女だったが、常に甘えたようなものの言い方をしていた。老人や子供達にはケンケンして不親切であったが、清三に金を送りに行った時だけは、何故か為吉にも割合親切だった。
 両人は、それぞれ田舎から持って来た手提げ籠を膝の上にのせていた。
「そりゃ、下へ置いとけゃえい。」
 自動車に乗ると清三は両親にそう云った。しかし、彼等は、下に置くと盗まれるものゝように手離さなかった。
「わたし持ちますわ。」嫁はそれを見て手を出した。
「いゝえ、大事ござんせん。」おしかは殊更叮寧な言葉を使った。
「おくたびれでしょう。わたし持ちます。」
「いゝえ、大事ござんせん。」おしかは固くなって手籠を離さなかった。為吉はどういう言葉を使っていゝのか迷っていた。
 やがて郊外の家についた。新しい二階建だった。電燈が室内に光っていた。田舎の取り散らしたヤチのない家とは全く様子が異《ちが》っていた。おしかはつぎのあたった足袋をどこへぬいで置いていゝか迷った。
「あの神戸で頼んだ行李は盗まれやせんのじゃろうかな?」お茶を一杯のんでから、おしかは清三に訊ねた。
 清三は妻を省みて苦笑していたが、
「お前、そんなに心配しなくってもいゝよ!」と苦々しく云った。
「荷物は、おばあさん、持ってきてくれますわ。」嫁はおかしさを包みきれぬらしく笑った。

      四

 嫁は園子という名だった。最初に受けた印象は誤っていなかった。それは老人達にとって好もしいものではなかった。
 駅で、列車からプラットフォームへ降りて、あわたゞしく出口に急ぐ下車客にまじって、気おくれしながら歩いていると、どこからやって来たのか、若々しく着飾った、まだ娘のように見えないでもない女が、清三の手を握らんばかりに何か話しかけていた。清三は、寸時、じいさん達を連れているのを忘れたかのように女に心を奪われていた。じいさんとばあさんとは清三の背後に佇んで話が終るのを待っていた。若い女は、話し乍《なが》ら、さげすむようなまた探索するような、眼《ま》なざしで二三度じいさん達を見た。と、清三が老人達の方へ振り向いた。女は、さっと顔一面に嫌悪の情をみなぎらせたが、急に、それを自覚して、かくすように、
「いらっしゃいまし。」と頭を下げた。それが園子だった。
 両人は、嫁が自分達の住んでいた世界の人間とは全然異った世界の人であるのを感じた。郵便局の事務員が、村の旦那の娘で、田舎の風物を軽蔑して都会好みをする女だった。同じ村で時々顔を見合わしていても近づき難い女だった――両人は思い出すともなく、直ちに、その娘を聯想した。
 彼等は嫁が傍にいると、自分達同志の間でも自由に口がきけなかった。変な田舎言葉を笑われそうな気がした。
 女事務員が為吉にだけは親切だったように、園子は両人に対して殊更叮寧だった。しかし両人は気が張って親しみ難かった叮寧さが、嫁の本当の心から出ているものとは受け取れなかった。
「おばあさんに着物を買ってあげなくゃ。」
「着物なんかいらないだろう。」
「だってあの縞柄じゃ……」
 園子は、ばあさんの着物のことを心配していた。彼女の眼のさきで働いているばあさんの垢にしみたような田舎縞が気になるらしかった。ばあさんは、自分のことを云われると、独りでに耳が鋭くなった。丁度、彼女は二階の縁側の拭き掃除が終って、汚れ水の入ったバケツを提げて立ったまゝ屋根ごしに近所の大きな屋敷で樹を植え換えているのを見入っているところだった。園子は、ばあさんがもう下へおりてしまったつもりで、清三に相談したものらしかった。
「うら[#「うら」に傍点]等があんまりおかしげな風をしとるせにあれ[#「あれ」に傍点]が笑いよるんじゃ。」ばあさんは気がまわった。
「そんなにじゝむさい手織縞を着とるせにじゃ。」じいさんは階下の自分等にあてがわれた四畳半で手持無沙汰に座っていた。
「ほいたって、ほかにましな着物いうて有りゃせんがの、……うら[#「うら」に傍点]のを笑いよるんじゃせに、お前のを
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