かりを食っていなければならなかった。家の鶏が産む卵だけでは足りなくって、おしかは近所へ買いに行った。端界《はざかい》に相場が出るのを見越して持っていた僅かばかりの米も、半ばは食ってしまった。それでもおしかは十月の初めに清三が健康を恢復して上京するのを見送ると、自分が助かったような思いでほっとした。もう来年の三月まで待てばいいのである。負債も何も清三が仕末をしてくれる。……
 為吉が六十で、おしかは五十四だった。両人は多年の労苦に老い疲れていた。山も田も抵当に入り、借金の利子は彼等を絶えず追っかけてきた。最後に残してあった屋敷と、附近の畑まで、清三の病気のために書き入れなければならなくなった。
 清三は卒業前に就職口が決定する筈だった。両人は、息子からの知らせが来るのを楽しみに待っていた。大きな会社にはいるのだろうと彼等はまだ見ぬ東京のことを想像して話しあった。そのうちに、両人も東京へ行けるかも知れない。
 三月半ばのある日、おしかは夕飯の仕度に為吉よりも一と足さきに畑から帰った。すると上り口の障子の破れから投げ込まれた息子の手紙があった。彼女は早速封を切った。おしかは、文字が読めなかった。しかし、なぜかなつかしくって、息子がインキで罫紙《けいし》に書いた手紙を、鼻さきへ持って行って嗅いで見た。清三の臭いがしているように思われた。やがて為吉が帰ると、彼女はまっ先に手紙を見せた。
 為吉は竈の前につくばって焚き火の明りでそれを見たが、老いた眼には分らなかった。彼は土足のまゝ座敷へ這い上ってランプの灯を大きくした。
「何ぞえいことが書いてあるかよ?」おしかは為吉の傍へすりよって訊ねた。
「どう云うて来とるぞいの?」
 しかし為吉は黙って二度繰りかえして読んだ。笑顔が現われて来なかった。
「何ぞいの?」
「会社へ勤めるのに新《さら》の洋服を拵えにゃならん云うて来とるんじゃ。」為吉は不服そうだった。
「今まで服は拵えとったやの。」
「あれゃ学校イ行く服じゃ。」
「ほんなまた銭《ぜに》要《い》らやの。」
「うむ。」
「なんぼおこせ云うて来とるどいの?」
「百五十円ほどいるんじゃ。」
「百五十円!」おしかはびっくりした。「そんな銭がどこに有りゃ! 家にゃもうなんにも有りゃせんのに!」
「洋服がなけりゃ会社イ出られんのじゃろうし……困ったこっちゃ!」為吉はぐったり頭を垂れた。

 
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