るのも、息子がそれだけえらくなるのだと思うと、慰められないこともなかった。
「清よ、これゃどこの本どいや?」為吉は読めもしない息子の本を拡げて、自分のものゝように頁をめくった。彼には清三がいろ/\むずかしいことを知って居り、難解な外国の本が読めるのが、丁度自分にそれだけの能力が出来たかのように嬉しいのだった。そして、ひまがあると清三のそばへ寄って行って話しかけた。
「独逸語。」
「……独逸語のうちでもこれは大分むずかしんじゃろう。」
「うむ。」
「清はチャンチャンとも話が出来るんかいや?」おしかも楽しそうに話しかけた。清三は海水浴から帰って本を出してきているところだった。
「出来る。」
「そんなら、お早よう――云うんは?」
「……」
「ごはんをお上り――はどういうんぞいや?」
「えゝい。ばあさんやかましい!」
「云うて聞かしてもよかろうがい。」おしかはたしなめるように云った。
「えゝい、黙っとれ!」
「お、親にそんなこと云《い》よれ、バチがあたるんじゃ。」おしかは洗濯物をつゞくっていた。
 清三は書物を見入っていた。ところが、暫らくすると、彼は頭痛がすると云いだした。
「そら見イ、バチじゃ。」おしかは笑った。
 だが清三の頭痛は次第にひどくなってきた。熱もあるようだ。おしかは早速、富山の売薬を出してきた。
 清三の熱は下らなかった。のみならず、ぐん/\上ってきた。腸チブスだったのである。
 彼女は息子を隔離病舎へやりたくなかった。そこへ行くともう生きて帰れないものゝように思われるからだった。再三医者に懇願してよう/\自宅で療養することにして貰った。
 高熱は永い間つゞいて容易に下らなかった。為吉とおしかとは、田畑の仕事を打ちやって息子の看護に懸命になった。甥の孝吉は一日に二度ずつ、一里ばかり向うの町へ氷を取りに自転車で走った。
 おしかは二週間ばかり夜も眠むらずに清三の傍らについていた。折角、これまで金を入れたのだからどうしても生命を取り止めたい。言葉に出してこそ云わなかったが、彼女にも為吉にもそういう意識はたしかにあった。彼等は、どこにまでも息子のために骨身を惜まなかった。村の医者だけでは不安で物足りなくって、町からも医学士を迎えた。医学士はオートバイで毎日やってきた。その往診料は一回五円だった。
 やっと危機は持ちこたえて通り越した。しかし、清三は久しく粥と卵ば
前へ 次へ
全15ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
黒島 伝治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング