対象として取り上げられなかったらしいのは、従来の文学批評家の文人気質によるというよりは、愛国的熱情があまって真実を追求しようとする意力の欠如が、文学としての価値を低めているがためだろう。
 よき文学は、叙述のうまさや、文才だけによっては生れない。また、記録的素材だけによっては生れない。このことは水野広徳の「此一戦」についても云われるだろう。

   第五章 結語、西欧の戦争文学との比較、戦争文学の困難

 以上のほか、武者小路実篤の「或る青年の夢」、芥川龍之介の「将軍」のもっと詳細な検討、細田民樹の「ある兵卒の記録」について、この三つの作品は、いずれも大正年間になって出されたものであるが、明治以後、戦争文学が如何に発展したかを見るために一応触れて置きたいと思っていた。しかし、予定の紙数の制限に近づいたので、別の機会に譲る。
 明治の諸作家が戦争を如何に描いたか、戦争に対してどんな態度を取ったかは、是非とも研究して置かなければならない重要な題目である。若し戦争について、それを真正面から書いていないにしても、戦争に対する作家の態度は、注意して見れば一句一節の中にも、はっきりと伺うことがある。それをも調べて、その作家が誰れの味方であったかを、はっきりして置くのは必要である。
 従来、それらについての研究は、殆んどなされていない。本稿を草するにあたって、貧弱な、自分の過去の読書を頼りにして、それを再吟味し、纒めるよりほかなかった。恐らく、いろ/\な疎漏があると思う。それに、年来の宿痾《しゅくあ》が図書館の古い文献を十分に調べることを妨げた。なお、戦争に関する詩歌についても、与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」、石川啄木の「マカロフ提督追悼の詩」を始め戦争に際しては多くが簇出しているし、また日露戦争中、二葉亭がガルシンの「四日間」を訳出している。「四日間」の戦争の悲惨を憎悪した内容が二葉亭の当時の態度を暗示しているかもしれないが、それらは、若し次の機会があらば、すべてをまとめて、もっと完全なものとしたいと思う。
 若し、以上見て来たところのものを西欧の近代の戦争文学と比較するならば、トルストイの「セバストポール」や「戦争と平和」は勿論、ガルシンの「四日間」「兵卒イワノフの手記」「卑怯者」でも、またアンドレエフの「血笑記」でも、モウパッサンのへんぺんたる短篇の戦争を扱ったもの
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