の階級性に制約されているのであるが、独歩がより多く、支配する立場の者に着目したのに比して、花袋は、もうすこし(ほんのすこしばかりだが)下級の者に着目した。これは「田舎教師」についてもまた見られる。しかし折角、兵卒に着目しながら、花袋は、生と死を重視する生物としての人間をそこに見て、背後の社会関係や、その矛盾の反映し凝集した兵卒は見つけ出さなかった。また、見つけようともしなかった。そこに、自然主義者としての花袋の面目もある訳だが、それだけに、戦場の戦闘開始前に於ける兵士や部隊の動きや、満洲の高梁のある曠野が、空想でない、しっかりした真実味に富んだ線の太い筆で描かれていながら、一つの戦地の断片に終って、全体としての戦争は浮びあがらない。自然主義文学に共通の特色をなす、全体的なことを書きながらも、その中の個の追求が、こゝでも主眼となっている。幾分、地主的匂いがたゞよっている。
一兵卒の死の原因にしても、長途の行軍から持病の脚気が昂進したという程度で、それ以上、その原因を深く追求しないで、主人公の恐ろしい苦しみをかきながら、作者は、ある諦めとか運命とかいうものを見つけ出そうとしている。脚気は戦地病であるが、一兵卒の死だって、もっとその原因を深く追求すれば、憤慨に値することに突きあたらざるを得ないのである。
けれども「一兵卒」は、明治以来の日本の文学に、初めて真面目に戦争に取材した小説を提供したものとして、歴史的にまず指を屈しなければならない。花袋はこの小説に於ては、その階級制に制約されながらも、他の際物的戦争小説や多くの戦争文学の作者のように、意識的には支配階級におもねっていないのである。
「一兵卒」に、戦争開始前烈しく行われた戦争に関する幸徳、堺等の議論が反映していない以上に、桜井忠温の「肉弾」には、なおそれ以上、微塵もその反映は見られない。「肉弾」は熱烈な愛国主義に貫かれている。
愛国主義は、それ自身決して不自然な感情でもないし、浅薄なものでもない。それは、「幾世紀も幾千年にも亘る祖国の存在によって固められた最も深い感情の一つである。」だが、それだけに階級の対立する社会では、最も多く支配階級に利用され得る感情である。そしてしば/\、真実の隠蔽のためにその文句が繰りかえされる。これが文学の基調をなすとき、視野の狭さと、一面性と、必要以上のこじつけのため、著しくその芸
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