の戦争が如何なる意義を持っていたかを説明する材料の一つとなり得るものであるが、当時の戦争文学には、田山花袋の「一兵卒」にも、際物的に簇出した戦争小説にも、勿論、桜井忠温の「肉弾」にもこれは反映しなかった。
 田山花袋の「一兵卒」は、作者の従軍中の観察と体験とからなったものである。明治四十一年一月の「早稲田文学」に現れた、花袋の代表作の一つであろう。日露戦争の遼陽攻撃の前に於ける兵站部《へいたんぶ》あたりの後方のことを取材している。戦地へいった一人の兵卒が病気のため、遼陽攻撃が始って全軍が花々しく進撃するうちに、一人だけ苦しみながら死んで行く有様を描いて、いわゆる「自然主義風」に人生の意義を語ろうとしたものである。
 作品のなかに兵卒が現れだしたのは、これよりさき大倉桃郎の「琵琶歌」にも見られるが、花袋は、もっとよく兵卒に即して、戦場を描いている。これは、日清戦争当時の独歩や蘆花が、士官若しくはそれ以上しか眼にうつらなかったのに比して、一段の進歩ということが出来る。そしてこの兵卒を書くということは、明治以後、大正、昭和の戦争文学または兵営の生活を書いた文学に、ますます多くなっている。勿論、兵卒を書くことによって、戦争を十分に描き出し得るとは云えない。将校の動きも、隊長も指揮官も、相手方の部隊の様子も、軍隊の背後に於ける国内の大衆の生活状態も、そこに於ける階級の関係も、すべて戦争と密接な切り離せない関係を持っている。が、それと共に兵卒は、背後のいろ/\な関係を集団としての自分達のなかに反映しつゝ、戦争に於ては最も重要な役割をなす。社会関係の矛盾も、資本主義が発展した段階に於て遂行する戦争とプロレタリアートとの利害の相剋も、すべてが戦線に出された兵卒に反映し凝集する。それは加熱された水のようなものである。蒸気に転化する可能性を持っている。だから、兵卒に着目したことには意義がある。
 花袋は、独歩の如く、将校はいゝんだが、下士以下は不道徳で、女を堕落させるというような見方はしていない。兵卒を一個の生物的な人間として見た。そして、一個の死に直面した人間が、大きな戦争の動きのなかに病気に苦しみながら死んで行く。そこに、人生を暗示しようとした。客観的にあったことを、あったことゝして作品の上に再現しようとした。現実をあるがまゝに描くのである。結局、それも花袋の場合にあっては支配階級
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