軍医の態度には、どっか柔かい、温かげなものがあった。栗本は、出された甲のすべっこい、小さい手を最大限度に力を入れて握ったと見せるために、息の根を止め、大便が出る位いきばった。その実、出来るだけ力を入れんようにして。
「傷はまだ痛いか。」
「はい。」
「よしッ!」
 軍医は出て行くように手を動かした。と温かげなものが、急に、頑固な冷たいものに変った。
「自分はまだ癒っちゃ居らんでしょう! この病院でもいい、こゝに置いて下さい! いやだ! 俺ゃまだ銃がかつげないんです!」
 栗本の眼はそれを訴えた。そして、軍医の顔を、何か反抗するように見つめた。
「よしッ!」
「始めの約束通り内地へ帰して下さい!」
 彼の眼はもう一度それを訴えた。
「よしッ!」
 軍医の頑固な冷たいものが、なお倍加して峻厳になってきた。
 ベッドに帰ると、ひとしお彼の心は動揺した。まだ絶望したくはなかった。窓外には、やはり粉雪がさら/\と速いテンポで斜にとんでいた。――どっちへころぶことか! 今は、もうすべてが軍医の甲のすべっこい、光っているあの手一つに握られているのだ。
 彼は診断室の方の物音と、廊下を通る看護卒の営内
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