ることを望んでいた。負傷さえすれば、すぐ内地へ帰れると思っていた。そこには、母や妹や鬚むじゃの親爺が、彼の帰りを待っている。が、その母や、妹や、親爺は、今、どうしても手が届かない、遥かな彼方に彼とは無関係に生きているのだ。誰れも彼に憐れみの眼光を投げて呉れる者はなかった。看護卒は、たゞ忙しそうに、忙しいのが癪に障るらしく、ふくれッ面をして無慈悲にがたがたやっていた。昨日まで同じ兵卒だったのが、急に、さながら少尉にでもなったように威張っていた。
「誰れも俺等のためなんど思って呉れる者は一人も有りゃしないんだ。」栗本はベッドの上で考えた。「みんな、自分勝手なことばかりしか考えてやしないんだ!」
――彼は、内地の茅葺きの家を思い浮べた。そこは、外には、骨を削るような労働が控えている。が、家の中には、温かい囲炉裏、ふかしたての芋、家族の愛情、骨を惜まない心づかいなどがある。地酒がある。彼は、そういうものを思い浮べた。――俺だって誰れも省みて呉れん孤児じゃないんだ! それを、どうしてこんな冷たいシベリアへやって来たんだ! どうして!……彼は嘆息した。と、それと一緒に、又哀れげな呻きが出てきた。
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