音の間から英語のアクセントかゝったロシア語が栗本の耳にきた。
「止まれッ!」
 ロシアの娘を連れ出したメリケン兵が酒場から帰って来る時分だ。
「止まれッ!」
 馭者のチョッ/\という舌打ちがして、橇は速力をゆるめた。
「誰だ?」
「心配すんねえ!……えらそうに!」
 声で、アメリカ兵であることが知れた。と同時に、別の弾力性のある若い女の声が闇の中にひゞいた。声の調子が、何か当然だというように横柄にきこえた。瞬間、栗本はいつもからの癇癪を破裂さした。暗い闇が好機だという意識が彼にあった。振り上げられた銃が馬の背に力いっぱいに落ちて行った。いつ弾丸の餌食になるか分らない危険な仕事は、すべて日本兵がやらせられている。共同出兵と云っている癖に、アメリカ兵は、たゞ町の兵営でペーチカに温まり、午後には若い女をあさりにロシア人の家へ出かけて行く。そこで偽札を水のように撒きちらす。それが仕事だった。而もその札《さつ》は、鮮銀の紙幣そっくりそのまゝのものだった。出兵が始まると同時に、アメリカは、汽船に二杯、偽札を浦潮へ積みこんできた。それを見たという者があった。
「何で化《ばけ》の皮を引きむいてやらんの
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