下へ油のついた火種を入れておくだけだった。ところが、枕木は炭焼竈の生木《なまき》のように、雪の中で点火されぷす/\燻りながら炭になってしまうのだった。雪の中で燻る枕木は外へは火も煙も立てなかった。上から見れば、それは一分の故障もない完全な線路であった。歩哨にも警戒隊にも分らなかった。而も、そこへ列車が通りかゝると、綿を踏んだように線路はドカンと落ちこみ、必然脚を踏み外すのであった。
五
十三寝ると病院列車に乗って浦潮へ出て行ける。
それが、今度はアルファベットになった。なお十三日延ばされたのだ。十三日に十三日を加えてABCの数だけねなければ浦潮へ出て行かれない。
その理由は何か?――列車の都合というのに過ぎなかった。それ以上は兵士には分らなかった。
負傷者は、Aの日が暮れるとBの日を待った。Bの日が暮れるとCの日を待った。それからD、E、F……。
ゼットが来なければ、彼等は完全にいのちを拾ったとは云えないのだ。
衛兵にまもられた橇が黒龍江を横切って静かに対岸の林へ辷って行く。それが丘の上の病院の眼に映った。黒龍江は氷の丘陵をきずいていた。
橇は、向うの林の方へ、二三枚の木葉舟《このはぶね》のように小さく、遠くなって行った。列車の顛覆と同時に、弾丸《たま》の餌食になった兵士が運ばれて行ったのだ。
観音経をやりながら、ちょい/\頓狂に笑う伍長をのけると、みんな憂鬱にベッドから頭を上げなかった。
「まだ、俺等は運がよかったか!」
栗本は考えた。ベッドには、一人の患者がいなくなると、また別の傷病者がそのあとへやって来る。それがいなくなると、又次の者がやってくる。藁蒲団も毛布も幾人かの血や膿《うみ》や汗で汚されていた。彼は、それをかむって、ひそかに自分を慰めた。
負傷者は、死ぬまで不自由と苦痛を持ってまわらなければならない、不具者だ。
彼等は、おかみ[#「おかみ」に傍点]から、もとの通りの生きている手や足や耳を弁償して貰いたかった。一度切り取られた脚は、それを生れたまゝのもとの通りにつけ直すことは出来ない。それは相談にかゝらない。でも、出来ても出来なくても無理やりに弁償を強要したかった。不服でむか/\してやりきれなかった。そういう激しい感情を林へ引いて行かれる橇を見て自ら慰めるよりほか、彼等には道がなかった。彼等と一緒に兵タイに取られ、入営の小豆飯を食い、二年兵になるのを待ち、それから帰休の日を待った者が、今は、幾人骨になっているか知れない。
ある者は戦場から直ぐ、ある者は繃帯所から、ある者は担架で病院までやってきて、而も、病院の入口で見込がないことを云い渡されて林へ運ばれて行った。中には、まだぬくい血が傷口から流れ出ている者があった。自分たちが、負傷から意識を失った、若し、それをまだ取りかえさないうちに見込がないと云い渡されていたら……。彼等は、それを思うとぞッとした。そういう者がないとは断言出来ないのだ。
「煙が上りだしたぞ。ウェヘヘッヘ。」
伍長が病的に笑って、湯呑みをチン/\叩きだした。
「やめろ!」
彼等は、髪や爪が焼ける悪臭を思い浮べた。雪に包まれた江の向うの林に薄い紫色の煙が上りだした。
「誰れやこしだったんだ?」
腰に弾丸がはまっている初田がきいた。
「六人じゃというこっちゃ。」
「六人?」
六人の兵士は、みな名前を知っていた。顔を知っていた。一緒に、あの朝、プラットフォームのない停車場から重い背嚢を背負って、やっと列車に這い上がり、イイシへ出かけたのだ。イイシにはメリケン兵がいない。ロシアの娘がまだメリケン兵に穢されていない。それをたのしみにしていた仲間だ。ある時は、赤い貨車の中でストーブを焚き、一緒に顫えながら夜を明かしたこともあった。
彼等は、誰も、ものを云わなかった。毛布をかむって寝台からペンキの剥《は》げたきたない天井を見た。
戦死者があると、いつも、もと坊主だった一人の兵卒が誦経《ずきょう》をした。その兵卒は林の中へもやって行った。
林の中に嗄《しわが》れた誦経の声がひゞき渡ると、薪は点火せられ、戦死者は、煙に化して行くのだった。薪が燃える周囲の雪が少しばかり解けかける。
自分の意志を苅りこまれ、たゞ一つの殺人器のようにこき使われた彼等は、すべての希望を兵役の義務から解き放された後にかけている。彼等はまだ若いのだ。しかし、そのすべての希望も、あの煙と共に消えなければならない。兵士達には、林の中の火葬の記憶が一番堪えがたかった。
急ごしらえの坊主の誦経が、いかに声高く樹々の間にひびき渡ろうとも、それによって自ら望まない死者が安らかに成仏しようとは信じられるか! そのあとに、もろい白骨以外何が残るか!
「まだ、俺等は、いゝくじを引きあてたんか!」彼等はまた
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