んだ敷布と病衣は、身体に纒われて出来た小皺と、垢や脂肪《あぶら》で、他人が着よごしたもののようにきたなかった。
「あゝ、あゝ、まるで売り切りの牛か馬のようだ。好きなまゝにせられるんだ!」
彼等は、すっかりおさらばを告げて出て行った筈のベッドへまた逆戻りした。大西は、いつもの元気に似ず、がっかりして、ベッドに長くなった。
「ほんまに家《うち》まで去んでみにゃ、どんなになるか分りゃせん。」
あの封筒に這入ったもの一ツが、梶を反対の方向にねじ向けてしまった。彼等はそれを感じていた。梶は、又、弾丸が降ってくる方へ向けられた。アルファベットを操る間絶えず胸に描いていた美しい、魅力のある内地が、あの封筒一ツに覆がえされてしまった。
栗本は、ベッドに腰かけて、心の動揺と戦った。茅葺きの家も、囲炉裏も、地酒も、髯みしゃの親爺も、おふくろも――それらは安らかさと、輝かしさに満ちている――すべてが自分から背を向けて遠くへ飛び去ってしまった。内地へ帰りたさに、どれだけ目に見えぬ心を使ったか! 一寸した将校のしわざが、俺等に祟って来るのだ! 下らんことのために、こゝに居る者の願望が根こそぎ掘り取られてしまうのだ。これからさき、どうなることか!
二重硝子の窓を通して、空の橇が馭者だけを乗せて、丘の道を一列につゞいて下るのが見えた。馬は、人を乗せなかったことが嬉しいかのように奔放にはねていた。粉雪は一層数を増して斜に、早いテンポでさら/\と落ちていた。
「そうだ、あたりまえなら、今頃、あの橇で辷っている時分だ!」
彼は、ふと、こんなことを考えた。
伍長は、手箱の湯呑をいじっていたが、観音経は忘れたかのように口にしなかった。
「俺ゃ、また銃を持てえ云うたって、どうしろ云うたって、動けやせん!」骨折の上等兵は泣き顔をした。
八
錆のきた銃をかついだ者が、週番上等兵につれられて、新しい雪にぼこ/\落ちこみながら歩いて行った。一群の退院者が丘を下って谷あいの街へ小さくなって行くと、またあとから別の群が病院の門をくゞりぬけて来た。防寒帽子の下から白い繃帯がはみ出している者がある。ひょっくひょっく跛《びっこ》を引いている者がある。どの顔にも久しく太陽の直射を受けない蒼白さと、病人らしいむくみがあった。その顔に銃と、弾薬盒と、剣は、どう見ても似つかわしくなかった。
珍らしく晴
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