突発事件のようでもあった。彼等は乗込んだ橇から暫らく立上ろうとしなかった。そこらにいた看護卒も軍医の言葉を疑うものゝのようにじいっとしていた。しばらく、さら/\と降る雪の音ばかりがあった。
「一っぺん病院へ引っかえせ!」相変らず、軍医の声は悄然としていた。
「雪が降るからですか?」
 誰れかがきいた。
「うゝむ。」
「じゃ、雪がやんだら帰れるんですね?」
 返事がなかった。
 軍医の云ったことが間違いでないのを確めた看護卒は、同じ言葉を附近の負傷者に同情を持たぬ声で繰りかえした。
 栗本は、脚がブル/\慄えだした。
「俺等をかえさんというんじゃあるまいな?」
 田口は、また困ったような顔をして答えなかった。
 栗本は、一本の藁にでもすがりたい気持をかくして、殊更、気軽く、
「こっちの中尉がメリケン兵を斬りつけたんが悪かったんかい?」と重ねてきいた。
「あゝ。」田口は気乗りのしない返事をした。「それで悶着がおこってきたんだ。」
「だって、あいつら、偽札を使ってたんじゃないか。」
 田口は、メリケン兵を悪く云うのには賛成しないらしく、鼻から眉の間に皺をよせ、不自然な苦い笑いをした。栗本は、将校に落度があったのか、きこうとした。が、丁度、橇からおりた者が、彼のうしろから大儀そうにぞろ/\押しよせて来た。彼は、それをさきへやり過ごそうとした。みんな防寒具にかゝった雪を払い払い彼につきあたって通った。ブル/\慄えている脚はひょろ/\した。彼は、道の真中にある石のように邪魔になった。看護卒がやかましく呶鳴った。
 脇へよけようと右を向くと、軍医が看護長に、小声で、
「橇は、うまく云ってかえして呉れんか。」
 そう云っているのが聞えた。彼は、軍医の顔をみつめた。そこに何か深い意味があるように感じた。軍医は、白い顔を傷病者の視線から避け、わざと降る雪に眼を向けていた。
 栗本は、ドキリとした。もう、如何に田口から委しいことをきいても、取りかえしはつかない、と感じた。
 病室の入り口では護送に行く筈だった看護卒が防寒服をぬぎ、帯剣をはずして、二三人で、何かひそ/\話し合っていた。負傷者が行くと、不自然な笑い方をして、帯皮を輪にしてさげた一人は急いで編上靴を漆喰に鳴らして兵舎の方へ走せて行った。
 患者がいなくなるので朝から焚かなかった暖炉《ペーチカ》は、冷え切っていた。藁布団の上に畳
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