へかえって脚をのばした。午前二時頃、彼らは、恐ろしい夢にうなされた。宿舎の二百人ばかりのつわもの[#「つわもの」に傍点]が、同時に、息の根をとめられ、うーッと唸って、現《うつゝ》で立ちあがった。苦るしまぎれに、両手でむちゃくちゃに空気を引ッかいた。
これは、内地で、早足行進に、どうしてもすね[#「すね」に傍点]が伸びない初年兵が、教官にボロクソにこづきまわされて、古いお城の松の枝で頸を吊って死んだ、その晩にうなされたのと同じ現象だった。その時にも、中隊全部が、息の根をとめられた。唸った。そして同時に眼がさめた。何と説明していゝか分からない。
「これは、何か不吉なことが起っているぞ。」
「俺れゃ、自分がしめ殺されたと思うた。……つらくッて、どうしても息が出来なかった。」
「誰れかゞ、現に、やられている! 無理、無法にやられている!」
正気づくと、彼等は云った。
「高取はいるか? 高取! 高取はいるか? どうも、俺れには、高取が、誰れかと一緒に眼のさきへやって来たような気がしてならん!」
柿本が、まだ、幻影を見ているような顔をして云った。
冷やッと、身が深い底へ引きずりこまれる感じがした。
翌朝、高取と、那須と、岡本と、松下、玉田が帰っていないことが分った。誰れしも、不思議がりながら、口に出しては、何も云わなかった。眼と眼でものを云った。木谷と柿本が、病院の負傷者と屍室の屍体をしらべた。いない。夕方になった。まだ帰らない。翌々朝になった。まだ帰らない。交代した歩哨は、寝不足と夜露で蒼くなって、宿舎へ這入ってきた。消息がない。
高取らの指揮者の、重藤中尉は、ひひ[#「ひひ」に傍点]猿に頬ッぺたをなめられたような顔をして、どこからか帰って来た。室の隅の木谷と柿本は、身に疵《きず》があるのに、強いてそれをかくして笑うような中尉の笑い方に目をとめた。
木谷の直感は、その笑い方に、ぴたりとかたく結びついた。彼は、中尉の心の状態が手にとれるような気がした。
「どうだい、今日は、※[#「さんずい+欒」、第3水準1−87−35]源門《ラクゲンモン》の攻撃だぞ……。」
「そうですか。」
木谷は、ご機嫌を取るように近づいてくる相手の疚《やま》しげな顔つきに、平気な、そッけない声で答えた。
「今日、お前らが、ウンときばればもう落ちてしまうんだぞ。」
「そうですか。――中尉殿! 高取なんぞ、どうしたんでありますか。一昨日から帰らないんであります。どこを探しても見つかりません。」
「なに、それを訊ねてどうするんだ! 木谷! お前、高取に何の用があるんだい?」
急に、重藤中尉は、険しい眼に角を立てて声を荒だて木谷に詰めよってきた。木谷をも、また銃殺しかねない見幕だった。
「用があるさ。戦友がどうなったか気づかうのはあたりまえじゃないか!」傍で、中尉と木谷の応酬を見ていた柿本は、決意と憤怒を眉の間に現わしながら、ぬッと、銃を握って立ちあがった。
巻脚絆を巻いたり、煙草を吸ったりしていた兵士たちも緊張した。向うの隅でも銃を取って立ちあがると、ガチッと遊底を鳴らして弾丸をこめる者があった。
「こら、柿本、そんなことをして何をするのだ?」と中尉は云った。
「何をしようと、云う必要はないだろう。」
重藤中尉は正真正銘の、力と力との対立を見た。中尉は、一個小隊を指揮する力を持っているつもりだった。だが、今、彼は、一兵卒の柿本の銃の前に、一個の生物でしかなかった。ちょうど、一昨日、武器を取り上げた高取や、那須や、岡本などが、一個の弱い生物でしかなかったように。そこで、彼はまた、翻然と、狡猾な奥の手を出した。彼は、柿本から、五六歩身を引くと、
「さア、整列! 整列! 皆な銃を持って外へ出ろ!」
と叫びながら、寄宿舎から逃げるように駆け出してしまった。
「畜生! 将校の面さげて糞みたいな奴だ!」
兵士たちは、口々に、憤って罵った。
柿本は、少し、馬鹿で、大まかな高取のことを思った。あの竹を割ったような、愉快な奴が、どこへ行ったのだろう。馬鹿のようで、本当は、決して馬鹿じゃなかった。工人達に、真ッさきに接近して行き出したのも高取だった。そして工人と友達のように仲がよくなってしまった。日露戦争や、日清戦争には、兵士達は、命を投げ出した。今は、居留民の生命財産の保護に命をかけている。しかし、そのいずれもが、真赤な嘘である。それを、まッさきに云い出したのも高取だった。
「実際、俺等にゃ、支那人をやっつけることばかりしかやらせやしないじゃないか。」と高取は云った。そして、柿本に、親しげな、同感をよせる態度で普利門外のおばさんの家は、どうなったかと訊ねた。
その時、柿本には、まだ、おばが、文字通りに着のみ着のまゝでS銀行に避難して、五ツの娘は、殺されていた、ことは分っていなかった。地下の秘密室にかくして置いた銀貨まで、あとで帰って行ってみるとなくなっていた。それも分っていなかった。
「普利門は、一番、被害のひどかった方面じゃないか。」
「そうらしいんだ。まだ、見に行くことも出来ねえんだ。」「俺等は、何のためにここへ来とるんだね?――折角やって来て、自分の肉親さえ、保護することも見ることも出来ねえって、……身体だけでも無事でいてくれればいゝがね。」
「うむ、気にかゝって仕様がないんだ!」
「俺等が、わざわざここまでよこされて、本当の親がいるとしてもだ、その親を守ることさえ出来ないんだぞ。……これが真相だよ。これが現在の、われ/\の置かれている位地の真実の姿だよ。大金を持っている奴等だけしか守られはしないんだ。そのために、俺等を犠牲にすることは、いくら犠牲にしたって、なんとも思っちゃいないんだ。」と高取はつゞけた。「ここで、工場を守らしながら、工人は、いじめつける。南軍は、追ッぱらわす。満洲の利益は、ちゃんと、これで確実に握りしめて置こうと考えているんだ。満洲が、奴等にとっちゃ、一番大切なんだからね。俺等は、月七円かそこらの俸給を貰うだけだよ。そして生命は、只で大ッぴらに投げ出してあるんだ。利益は何にもありゃしない。内地へ帰れば、やっぱし稼がなければ、金は取れやしないよ。満洲の防壁となってやったって、一生涯、遊ばして食わしちゃくれやしめえ。……実際居留民の保護だけなら、何故、こんな不便な、きたないマッチ工場の南京虫がうようよしている寄宿舎に入れて置くかね? 小学校だって、居留民団だって、KS倶楽部だって、もっときれいな、大きい建物がいくらでもあるんだ。そして、そっちの方が便利なんだ。それを、工場に置くのは、工人を圧えつけるためと、工場を守らす以外に、どこに理由が見出されるかね。」
柿本は、高取の放胆な話しッ振りに似ず、しみ/″\とした心持になった。
「俺等が支那を叩きつける役に使われて、工人や百姓の運動を、邪魔すりゃ、邪魔するほど、俺等の内地の暮しが苦るしくなるんだ。」また高取は、そんな話もした。「支那を弾圧してニコニコしているのは大金持だけだよ。大金持は、それで、また、金を儲けら。……金を儲けりゃ、その金を使って内地で俺等をからめ手から押しつけるんだ。どっちにしたって、俺等だけが部分的によくなるちゅうことはあり得ないんだ。支那の連中に大いにやって貰わんことにゃ、俺等の内地の仕事もやりにくいんだ!」
その高取がいなくなった。
柿本には、最後の言葉だけは、まだ、意味がはっきり分らなかった。
幹部は、城内に頑張っている南軍よりも、土匪よりも、猿飛佐助のまく伝単や高取や、工人たちと一つになった兵士の赤化を一番に、気にやんでいた。それを一番怖がっていた。
それは争われなかった。
三二
この日、また、死にもの狂いの猛烈な攻撃が試みられた。
午後三時、柿本は、ゴミの中で城壁のかげから飛来した弾丸に肩をうちぬかれた。一群の負傷者にまじってトラックに揺られ病院に来た。
負傷兵は、どの病室にも、いっぱいにあふれていた。担架にのせられ、歩ける者は歩いて、あとからどん/\這入り得るだけの密度で、病室につめこまれる。外科病棟は、びっしりとなっていた。内科病棟と伝染病棟の一部にも、負傷者は這入っていた。
柿本が入れられたのは支那人を追い出した、支那人への施療《せりょう》病室だった。白ペンキが禿げた鉄寝台、汚点《しみ》だらけの藁蒲団、膿《うみ》くさい毛布。敷布や、蒲団蔽いはなかった。普通の病室よりは悪かった。
煎《い》りつくようなのどの乾きと、傷が生命を奪って行く、それとの戦い、疼痛などで、病室は、檻のようなわめきで、相呼応していた。
各部署の戦闘のはげしさは、負傷者の数と、思い切り無遠慮なその負傷ぶりによって完全に表現されていた。
「砲兵の榴散弾で、城門近くの歩兵がやられて居るんだ。照準が間違っているのにめちゃくちゃにうって居るからだ。味方の頭の上で味方の弾丸が炸裂しているんだからな。」
負傷者を運んできた担架卒は、ベッドの脇で、にが/\しげに呟いた。
「南軍の遺棄した弾丸を使ってるちゅうじゃないか。」
「ふむ、そうかもしれねえ。そんなことをするから着弾が狂って、味方の砲兵が、味方の歩兵を殺すんだ。」
「チェッ! そんなこともあろうかい。もともとろくでもねえ戦争だ!」
一ツのトラックの負傷者が、それぞれベッドに運ばれて、一時担架卒のがたがた出入する靴音が消えたかと思うと、まだ、軍医の傷の手あてが、みんなの三分の一にも行き渡らないうちに、次のトラックが病庭へ唸りこんできた。また、担架卒が、靴音をばたばたと、重い負傷者をかついで這入ってくる。
「□×が一等、やられる者が多いぞ。もはや、戦死が九人。――聯さん[#「聯さん」に傍点]が抜けがけの功名をあげるとてあせっているからだ。」新しく柿本の傍のベッドへやってきた担架卒は、太い低声《こごえ》で、運んできた負傷者[#「負傷者」は底本では「象傷者」]に喋っていた。「幹部の功名心は、俺等を踏台にしなきゃ遂げられねえ性質を持っているんだ! 旅順攻撃にだって、屍の山を積んだんだ。それで、一人の大将が、神さまに祭られてら!」
柿本はうすうすきいていた。
□×とは、彼の聯隊だった。見ると、ベッドに移されているのは、中隊の黒岩である。ズボンを取って脚にくゝりつけた三角巾が、赤黒くこわばっていた。彼等は、隊長の功名心や、ほかの部隊との競争心から、むやみの突撃、前進を強いられていた。見す見す傷つき倒れる。××氏大隊□□占領! △△氏中隊どこそこを奪取! この報知に虚栄心を燃やされるのは「長」がつく人間だった。
「無理をするからだ。誰れにだって出来ねえことを、一と息でやって見せようと見栄坊を張ってやがるんだ!」
黒岩は、傷の痛みを感じるよりも、神経が立っている話し振りで話した。
「どこの部隊だって、兵タイにゃ、最大限度の馬力をかけさしているんじゃないか?」
と、柿本は、ふいに、横から云った。
担架卒は、ちょっと黙って不思議げに彼を見た。黒岩は、柿本だと知ると、口もとに、笑いのかげを浮べた。
「そうかもしれんて。」
「そうだよ、そうにきまっているよ! この数しれん負傷者は。――戦争は、隊長の功名心の競争場だよ。そういう風に出来ているんだ。それで支那兵は、徹底的に追ッぱらってしまうさ。俺れらは、隊長の踏み台にせられて手や脚を落すさ。ははは、隊長は隊長で、その功名心に、また、もうひとつ上からあおりをかけられているんだ。勲章というね。上にゃ、上があらア。」
「その一番下は俺らじゃないか。」
「うむ、その俺らの上にゃ、重い石が、三重も四重もにのっかっていら! 畜生!」
のんきな軍医は、兵士の苦るしみや、わめきや、怺《こら》えきれなくなって手足をばた/\やるのが快よいものゝように、にこ/\しながら、平気で処置をつゞけていた。血糊でへばりついたシャツを鋏で切った。
「一将功成り、万卒倒る、か。」
兵タイの不平を小耳にした彼は、詩吟の口調で、軽るく口ずさんだ。
柿本は、その軍医の手あてを受けた。そして、白い
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