、新しい病衣を着た。
 城壁は、翌日、午前中、陥落した。ベッドに坐って彼はそれを聞いた。傷の疼痛は、だんだんに少くなった。肩の負傷は、歩くことには一向差支なかった。三日目に、木谷と山下が見舞に来た。
「おい、柿本、どうだい。」木谷は、男性的な渋い声で叫んだ。「高取らがやられていたぞ! 五人とも黄河の河畔で、犬に喰われて白骨が出ていた。」
 多分そんなことになっただろうとは感じていた。が、現実にそれをきくと、柿本は、ぎくッと心臓が突きのめされた。
「そうか、やっぱしそうだったか。あの晩にうな[#「うな」に傍点]されたのは、だてや、冗談じゃなかったんだな!」
「今、五人とも、屍室《しかばねしつ》へ運んできている。」
「一体、誰奴《どやつ》にやられたんだ!」黒岩が云った。「誰奴がやりやがったんだ。犯人は、はっきり分らんか?」
「黙っていろ! それをきいたって無駄だ。」木谷は、厳粛な素振りで手を振った。「云わなくたって分っている。あいつだ!」
「あいつッて?」
「あいつだ!」
 暫らく彼等は無言でいた。
 傷ついた肩から玩具のようにブラさがっている片腕を、三角巾で首に吊って柿本は、木谷らと、屍室へ歩いた。大腿骨が砕けた黒岩は動けなかった。院庭から見える市街は荒廃し切っていた。踏み折られて泥にまみれた草は、それでも、又、頭を持ちあげようとしていた。アカシヤは、風にもかゝわらず、なお一層青々としていた。屍室には、看護婦や、患者や、兵士や、街の人々が、入口と窓の外に、黒山のようにたかっていた。五人の、犬にしゃぶられた遺骸を見ようとつまさきで立ちあがっている。
 高取たちは、もう、暑さで腐爛していた。酸っぱい鼻もちのならぬ腐肉の匂いと、線香の煙がもつれあって、嗅覚を打った。どれが高取だか、那須だか、玉田だか分らない。白布で蔽うてあった。殺されたまゝ放任されていたのだ。捜索隊が行くまで、毛のむく/\した野犬どもが集って、舌なめずりをしながら、しゃぶっていたそうだ。
「あいつらの黒い手がこんなめにあわしくさったんだ!」山下が呟いた。「しかし、この肉体のどこから、俺等をうな[#「うな」に傍点]しに来たんだろう?」
 山下が、いぶかしげにきいた[#「きいた」は底本では「きたい」]。
「そりゃ、何か分らん、俺れにゃ、どう説明していゝか分らないよ。」と木谷が云った。「しかし、奴等は、俺等の武器が奴等にむかって突ッかかって行くのを怖がって、先手を打ちやがったんだ! あいつらの利益を守るためには、あらゆるものを犠牲にしてかえりみないのだ!」
 三人は、芝生の土手を越して、塹壕のある草ッ原に出た。大きなアカシヤのかげには火葬場が作られていた。
「俺れらだって、ひとつまちがえば、やられていたかもしれないんだ。」と、木谷は、塹壕をとび渡って小声で云った。「あいつらは俺らが怖いんだ。だが、今度、俺等が剣を持った日にゃ、先手を打たれやしないぞ。まず、あいつらの心臓を串ざしにしなきゃ置かないんだ!」

     三三

[#地から2字上げ]――後記――
 半分しか肉がついていない五名の兵士は、「名誉の戦死」ということになった。
 棺に納められ、石油をぶっかけられた彼等の肉体は、火葬竈の中で、くさい煙となって消えて行った。
 内地の彼等の親たちは、本当に、彼等が、憎むべきチャンコロの弾丸にあたって戦死したものと思いこんでいるだろう。しかし、兵士はそのためにすべてが将校に対する新しい憎悪を激しく燃やした。
 出兵の結果、支那には、排日、反帝国主義運動が、かえって強くみなぎった。破壊しつくされた※[#「さんずい+欒」、第3水準1−87−35]源門には「誓雪此恥《セイセツコノハジ》」「※[#「にんべん+爾」、第3水準1−14−45]看見※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《ショウカンケンマ》?」「※[#「にんべん+爾」、第3水準1−14−45]記得※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《ショウキトクマ》?」と、民衆の心に火をつけている。[#「。」は底本では「、」]日本ブルジョアジーは、出兵当初の目的とした「満洲植民地の確保」は、一時的にせよ、殆んどそれを達成した。喰えない男、張作霖の爆死や、蒋介石と結ぶ揚宇霆の銃殺などによって、日本のブルジョアジーは、武力によってでも、満蒙を握りしめ、完全に、それを属領化しなければならないようになっている。そのために、あらゆる力を、そこに傾注している。
 福隆火柴公司《フールンホサイコンス》の工人達は、その後兵士と握手して立ちあがった。社宅の女房達は、また、いつかのように自動車でKS倶楽部へ逃げ出した。そして、彼女達は、永久に社宅へは帰らなかった。工人の力は強かった。と、内川らはマッチ業界の世界統一を企図している瑞典の資本を結合した。工人たちは、また、強敵と立ち向うこととなった。
 それから、最後に、猪川幹太郎は、このドサクサ騒ざに、家も、仕事も、子供も、すっかり失ってしまった。彼は、マッチ工場を馘《くび》になった。
 一郎は、どこで、どう失われたか、皆目分らなかった。恐らく支那人にツマミ殺されたのだろう。彼は、それを残念がった。トシ子によく似た子供を失ってしまった。それが惜しかった。しかし、また一方、殺されたなら殺されたっていゝとも思った。
 だが、ある日である。
 彼は、以前の住居の十王殿附近をブラ/\歩いていた。破壊のあとはまだ恢復していなかった。街は、一層きたなく、ホコリッぽかった。支那人が生大根の尻ッポをかじっていた。
「※[#「父/多」、第4水準2−80−13]呀《テイヤ》! ※[#「父/多」、第4水準2−80−13]呀!」
 ふと、彼の足もとへ近づいて来る者があった。汚い支那服を着た子供だった。頭は支那の子供のように前髪と、ビンチョを置いて剃られていた。
「※[#「父/多」、第4水準2−80−13]呀! ※[#「父/多」、第4水準2−80−13]呀!」
 よち/\とその子供は、遊んでいるほかの子供の仲間から離れて歩いてきた。
 見ると、それが一郎だった。
 馬貫之《マカンシ》の細君が、辻の枝が裂けたアカシヤのところに立っていた。彼は、思わず、子供を抱きあげた。
 一郎は、馬貫之に助けられていたのである。
[#地から1字上げ](昭和五年十一月)



底本:「筑摩現代文学大系 38 小林多喜二 黒島傳二 徳永直 集」筑摩書房
   1978(昭和53)年12月20日初版第1刷発行
入力:大野裕
校正:原田頌子
2001年8月14日公開
2006年3月23日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全25ページ中25ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
黒島 伝治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング