っかり掠奪され、明日から宿も、食物もない心配で、くしゃ/\していた。折角、俺れがやって来ていながら、どうにもしてやることが出来なかった! 高取らが、でくの[#「でくの」に傍点]坊の馬鹿のようにして歩いているのにも理由があった。忍従しているのだ。
 中隊は破壊しつくされた街に這入った。窓硝子、扉、壁、屋根、すべてが滅茶苦茶だ。籐張りの女の下駄が片脚だけ放り出されて、靴にあたった。兵士たちは、石の高い頑丈な家と塀とをまわって、広い荒らされた、草ッ原に出た。そこをはすかいに横ぎった。そして、又、破壊された家ごみに這入った。縫うように、細い道を折れ曲った。
 太陽は、壊れたぎざ/\の屋根の間から輝かしく、鮮やかにぬッと浮び出た。空の方々に散在していたきれぎれの雲は、どこかへ消え失せてしまった。また暑くなる! ごたごたしたすべての物が、強く照し出された。
 中隊は大通りへ出た。城壁の外門へ一直線である。外門の上の建物に、青天白日旗が、ひら/\と翻《ひるがえ》って見えた。
 どこかで、何かの合図が聞えたものゝようだった。と、遙か後方の砲列を敷いていたあたりから、砲声が轟き渡った。つゞく。空を唸って、前方で爆発する。それに応じるもののように、反対の東の方で、銃声が連続して起った。柿本は、腓脛《ふくらはぎ》が、ぴく/\、ぴく/\と顫えた。そして全身で身顫いした。
 その時である。中隊の縦列は、だしぬけに、側面から射撃を受けた。中隊長は、耳のすぐ上で、数発の銃声がパチパチとひゞいたのをきゝとめた。T病院の二階からだ。柿本もそれをきいた。銃声は杜絶えた。
「あ、あ、あんなところから不意打ちを喰わして居る!」
 特務曹長は、なさけなげな声を出して、アカシヤのかげにかくれるように伏せをした。兵士たちは顔を見合わした。ひとりでに、微苦笑が口をついて出た。同時に、彼等は、たまげちゃったような中隊長の散解[#「散解」はママ]の号令をきいた。
「そら、また、ここへ突ッ込めだぞ。」
 高取は、にた/\意味ありげに笑って、どっしりとした玉田に云った。柿本にもそれが聞えた。
「なんだ、何も居りゃせんじゃないか。」
 玉田は、頸をあげて、二階建の病院を見まわした。それが終らないうちに、右翼は、重藤中尉が先頭に立って、開き扉を押し割り、着剣した銃を突き出し、クレゾールくさい室内へ突入していた。つづいて兵士がどや/\となだれこんだ。白い服の看護婦がちら/\していた。ベッドには病人がねていた。肋膜炎、腎臓炎、胃かいよう[#「かいよう」に傍点]、心臓弁膜不全症――内科と外科は別だった。多くの部屋を区切った扉は、次々に、バタン、バタンと突きあけられた。泥靴がベッドにとびあがった。手術台の厚い硝子は、亀裂が入った。
 これが、その当時の記録に、「第×××聯隊が、逐次暗夜を辿りつゝ城門に近づかんとするや、俄かにその北側にあるT病院内より支那兵の猛射を受け、危険極まりなきに到ったが、該建物が病院たるの性質にかんがみ、一時、その措置に窮した。しかし、何分、事態急迫し、躊躇すれば、暴兵の乱射のため、多大の損害を受けざるを得ぬので、N大尉は一部隊を以てこれを駆逐せしめた。当時、急迫の場合の措置として、寔《まこと》に、止むを得なんだのである。云々」と弁じている事件である。

 約三十分の後、兵士たちは、不愉快な記憶を脳髄にこびりつかして、病院を引きあげた。不愉快な記憶は、一日中、とれなかった。翌日も、それは取れなかった。柿本は気がすゝまぬ様子で、渋々と動作をした。そして何か、自分でも分からないような考えにふけった。――「子供の病人が壁に突きささった。そして、胸から血潮を吹いてガクガクっとその下に蹲《うずくま》った。そんなことをしてもいゝもんか! そんなことがあってもいゝもんか!」悔恨のようなものに苦るしめられた。「あの顔色の蒼い女は、口をあけて、何も知らずベッドの中でねむっていた。……毛布に三角の小さい孔があいた。そうしてあの女は、永久に醒《さ》めることなく眠っているだろう。……俺れの手はあの時顫えた。力が、腕から急に抜けてしまった! そうだ、俺れらは、あんなことまでさせられたのだ!」
 彼等は、隊伍を直して城門にむかった。攻城戦は既にたけなわになっていた。タラッ! タ、タ、タ、タ、タ、タッタ! 機関銃が城門の内と外から呼応して、迅く、つゞけさまにひゞき渡る。ちょっと、きれたかと思うと、また、ひゞく。榴弾が城壁で炸裂《さくれつ》していた。
 高取や、玉田や、松下などを見ると、彼等は、むッつりして、虫を喰ったような顔をしていた。訓練所出の、倉矢までが、浮かぬ顔で何か考えこんでいた。――「そうだ、あいつらも、みんな不愉快な記憶に心臓をしめつけられているのだ!」と柿本は思った。
 直接剣を握って殺し合いをやる最下級の彼等は、殺すことが誰れのためだか、その判断がつかなくなるのだった。何者かに取ッつかれたようだった。
 同胞の日本人が惨殺された。掠奪された。天井裏の板一枚まで剥ぎ取られた。と、彼等は、その現象だけを問題とした。そして、一人が殺されたその倍がえしをせずにいられない、憤怒と、情熱と、復仇心を感じた。
 その憤怒と、その情熱と、その復仇心とが、いわゆる「敵」をやッつけるのに最も重要な要素となるのは、争われなかった。
 この情熱によって、彼等は、市街戦で殺された日本人の約十五倍の支那人を血祭りにあげていた、屍体を蹴とばした。
 何のために、それをやったか! 誰のためにそれをやったか!

     三〇

 翌々朝、六時。
 大陸の焼けつくような一日は、既に始まっていた。
 兵士たちは、マッチ工場の白楊材置場の片隅に整列した。
 敏感な重藤中尉は、上官の直視を避けるような兵卒の眼つきに注意をとめた。動揺と、士気の沮喪と、いや/\ながら行動する煮え切らないものを彼は見た。前々から兵卒の間に醸《かも》されていた険悪な空気を彼は感じた。即座に、誰かゞ、かげにかくれて、何かやっているな! と思った。
 勇敢で、単純で、感情的な重藤は、自分の扱っている兵卒の要求と、本能を直感的に見抜く鋭敏な才能を持っていた。
 彼は、その自分の感じによって、兵卒が、上官の眼の行き届かないかげで、何かこそこそやっているのを知っていた。たちが悪い。明かに信服しなくなっている。高取は、職長を殴りつけて、工人への給料を全額、暴力で払わしていた。それ以来、少くとも、五六人の兵タイは、国家のために出征しているのか、工人と一ツとなって不届き至極なことをやるために来ているのか区別がつかなくなっていた。彼は、中でも、特に、高取に最も注目していた。なお、多くの兵士らも、自身から、高取の言説に心をひかれている。それも分った。それには、理由がなければならない!
 人事をやっている特務曹長もこれに気づいていた。特曹は、支那の共産党員と、何か共謀して事をたくらんでいると、重大視していた。しかし、重藤は、その点、どうせ兵卒のやることだ、どんなにしたって、大したことは出来ない、と高をくゝっていた。
 彼は、整列した兵士たちの眼に、動揺と、不安と、ある意気地なさを見ると、すぐ原因を高取らのこそ/\に帰した。そして、こんな日に限って負けるんだ。と考えた。無数の負傷者が出るんだ。大きなしくじりをやるんだ! 彼は顔をしかめた。
 高取は、一番最後に、巻脚絆を巻き直して、靴を引きずり、整列に加わろうとしていた。彼は高取につめよった。横合いから、頬を殴りとばした。故意に、兵士達、皆んなに見えるところでやった。
「おい、高取、なまけるな!」
「……。」
「お前は、国のために働くのが嫌いなのか? そんな奴は謀叛《むほん》人だぞ。」そして、もう三ツぶん殴った。
「分ったか?」
「……。」
 高取の眼は、眼窩からとび出して、前へ突進して来るように燃えていた。何のためにいきなりやられるのか訳が分らなかった。
 中尉は、高取の眼が気に喰わなかった。ぷーンとした態度が満足できなかった。
「こらッ! 不真面目にすると、お前のためにならんぞ!」と、彼は呶鳴った。
「どうしたんでありますか。」
「こらッ! 高取やめろ!」彼は軍刀をガチャッと鳴らした。「俺れは、お前の腹の中を見すかして居るんだぞ。お前のやっとることは、何一ツ残らず知っとるんだぞ。お前は、自分で、何をやっとるかその恐ろしさを知らんのだ。」
「何も、やって居りはしねンであります。」
 高取は、一寸、まごついた。が、すぐ、光った眼で中尉を見つめた。
「よせ!」重藤は、儼然と云った。「俺れは何もかも知って居るんだぞ!」
「はい、何ですか?」
 償勤兵となった彼は、これまでにも、幾度か殴られた。蹴られた。指揮刀が歪むほどひッぱたかれた。彼は、何回となくそれを忍んできた。ほかの者だって、そんなに異いはしなかった。
「こうして、この結果、俺等が現にやらせられているのは、何であるか? 自分で、自分の頸を縛ることだ! それ以外のなんでもない! 兵タイほど、人のいゝ馬鹿な奴はない。」
 兵士たちは、高取を殴るのは、高取一人を殴るのではない。自分たち、全体をも殴るのだ! と感じた。おどかしにやっているのだ。彼等は、顔色が変った。
 敏感な重藤は、正確な晴雨計のように、すぐ、それに気づいた。兵士たちが、色めいて、変に動揺しだしたのを眼にとめた。もうこれ以上殴りすえては、却って、藪蛇になる。部隊全体に対して。と感じで意識したが、語調の行きがかりが、意識を裏切った。高取は、上をむいて何か云おうとした。中尉はそれを遮った。
「一体、お前らは、何事を考えだしているんだい? ええ? 一体、どういうことを考えだしているんだい?」
「自分達が苦るしめられるために、働いてやりたくはないんであります。」
「ふむ、――苦るしめられたくはないと云うんだな。(わざと相手の言葉をごま化した。)……それなら命令をよく聞け! 命令をききさえすればいゝんだ。」
「……。」
 重藤は、それ以上、突ッこまなかった。大胆不敵な彼も、多数の前には恐怖した。彼は、兵士たちの顔色を見い見い、言葉を切った。しかし兵卒を扱って来た経験から、自分の云った命令が、実行されないかも知れないという疑念を、絶対に素振りに出してはいけない。自分の命令は、必ず、確実に実行されるものだ。と、信じ切っている。そう兵卒に見せる。それが必要であるのを心得ていた。そして、その態度を取った。高取の態度は、決して、彼に満足を与えるどころじゃなかった。しかし、彼は、これで、注意はすんだというように、身体のこなしを一新して、整列した兵卒にむかった。

     三一

 兵士は藁人形のようにバタバタと倒れた。
 方振武は頑強に、城内に踏み止まっていた。
 どんな妨害に抗しても、天津、北京へ、攻めのぼらずには置かない意気を示した。城門はかたく、なかなか破ることが出来なかった。城壁が厚かった。青天白日旗は、いつまでも元気よく、その中に翻っていた。弱くない。武器も新しい。
 蒋介石は、日本のどんな要求でも容れるから、たゞ、ここを通過して、天津、北京を攻撃することをゆるせ! と提議した。それが、いれられなかった。司令官は、満洲が脅かされることを知っていた。そこで、支那兵は意地になった。
 ほかの部隊が各々、西北角や、泰安門や、新建門を占領して行くに従って、柿本の部隊の幹部は、やっきになって自分の持場を攻めあせった。バタバタ倒れる者が多くなる。幹部の功名心と競争心は兵士に重量がのしかゝるように出来ていた。柿本らにも、それが眼に見えて分った。巻脚絆を解くひまもない。へと/\になった。つらくッてたまらない。鉄砲の照準をきめながら、フラ/\ッと居眠りをしたりした。
 戦友が、どこで、どうしているか分からないまでに、ごたごたに入り乱れた。市街は、焼火箸が降るような暑さだ。
 アカシヤの青葉が黄風《ホワンフォン》に吹きちぎられ、土煙にまじって、目つぶしのように街を飛んだ。その晩、青鼠服は、射撃を中止した。兵士たちは、工場
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