最近たしかめた。金を出したのは、米国のある実業家だ。それによって、その金額によって、蒋介石が北京までのりこみ得ることがチャンと測定されてしまった。
文化的に支那侵略を企てゝいる米国は、到るところに教会、学校、病院、を設立した。欺瞞的な慈善事業を行った。贈物を持ってきた。庚子賠款《こうしあんかん》を放棄した。そして支那人を手なずけた。
俺れは希臘《ギリシャ》人が怖い、たとえやつらが、どれだけ贈物を持ってきたって、俺れゃ希臘人が怖い。ローマ人でない支那人にとっては、その希臘人は亜米利加人じゃないか! と山崎は考えた。
それを、支那人は、贈物に乗せられているのだ。これが、すべて、日本に、どんな意味を持つか、勿論山崎は知悉《ちしつ》していた。
「済南《チヒナン》は、実に天下の要衝である。陸は南北の中間に位置し、海には、渤海の南半を抑制し、一呼して立てば、天津、北京の形勢を扼することが出来る。※[#「さんずい+樂」、第4水準2−79−40]河《らんか》上流の地を北京の背面とすれば、済南は、実に、その前面、腹部にあたるの観がある。而して、青島《チンタオ》への沿線には、坊子、博山、※[#「さん
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