に領事館警察署員等に依って取りまかれていた。
 家の中は、ゴミ箱をごったかえすように、掻きまわされた。
 今度は、主人の竹三郎が封印をするばかりにした「快上快《クワイシャンクワイ》」の一と箱と、乳鉢、天秤等と共に、引っぱって行かれてしまった。
 間もなく、中津は、張宗昌のいる宿州へ向って出発した。
 戦線のひっぱくは、彼をして内部に思いなやんでいることを打ちあけるひまを与えなかった。
 彼は、夜行の汽車で出発した。

     一二

 日没後、なお、一と時は、物が白く明るく見える、生暖い晩だ。
 昼の雑鬧《ざっとう》と黄色い灰のようなほこりはよう/\おさまった。
 無数にうろついていた乞食の群れが闇に姿を消した。※[#「穴かんむり/缶」、211−上−16]子《ヤオズ》の家と家との間では、耳輪をチラ/\させた女が、奇怪な微笑を始めだした。
 山崎は、その家と家の間から出てきた。彼は、いつもの黒い支那服と違って、鼠色の、S大学の学生服を着こんでいた。生暖い街は潤《うるお》いを帯びて見えた。不安と険悪さは夜になる程ひどくなった。それを恐れないのは、マアタイにくるまった乞食だけだ。
 山崎の眼は、何かを、しびれを切らして待ちもうけているもののように、いら/\していた。
 街をもぐり歩いている陳長財《チンチャンツァイ》が、まだ帰ってこないのだ。
 せいぜい徐州か臨城まで押しかけて来れば大出来だ、と高をくゝっていた北伐軍が、もう袞州《こんしゅう》を陥れ、泰安へ迫っていた。
 防戦の張宗昌は、宿州から、徐州、臨城、袞州へと退却をつゞけた。宿州の激戦に依る負傷兵は、その儘《まま》、戦場に遺棄された。のみならず、前線から手足まといとなってついてきた他の負傷者達も、そこで、急ぐ退却の犠牲となって、片ッぱしから生埋めにされてしまった。
 臨城では、彼は、なだれのように退却する部下の将校をピストルで射殺した。
 山東兵は、南は、北伐軍に圧迫された。北の退路は、張督弁にふさがれていた。で、立往生をした。その一部は、やむを得ず途中で脇道にそれ、高峻な泰山を踏み越し、明水や郭店を通って、住みなれた都市へ逃げこんで来た。他の一部は蒋介石に投降した。
 北伐軍の威勢が案外にあがるのは、金があるからだ。山崎は、総商会が蒋介石に金を出したという福隆火柴公司《フールンホサイコンス》のレポが嘘だったのを、最近たしかめた。金を出したのは、米国のある実業家だ。それによって、その金額によって、蒋介石が北京までのりこみ得ることがチャンと測定されてしまった。
 文化的に支那侵略を企てゝいる米国は、到るところに教会、学校、病院、を設立した。欺瞞的な慈善事業を行った。贈物を持ってきた。庚子賠款《こうしあんかん》を放棄した。そして支那人を手なずけた。
 俺れは希臘《ギリシャ》人が怖い、たとえやつらが、どれだけ贈物を持ってきたって、俺れゃ希臘人が怖い。ローマ人でない支那人にとっては、その希臘人は亜米利加人じゃないか! と山崎は考えた。
 それを、支那人は、贈物に乗せられているのだ。これが、すべて、日本に、どんな意味を持つか、勿論山崎は知悉《ちしつ》していた。
「済南《チヒナン》は、実に天下の要衝である。陸は南北の中間に位置し、海には、渤海の南半を抑制し、一呼して立てば、天津、北京の形勢を扼することが出来る。※[#「さんずい+樂」、第4水準2−79−40]河《らんか》上流の地を北京の背面とすれば、済南は、実に、その前面、腹部にあたるの観がある。而して、青島《チンタオ》への沿線には、坊子、博山、※[#「さんずい+(巛/田)」、第3水準1−86−81]川《るせん》、章邱等に約十八億トンの石炭が埋蔵されている。又、西二百数十哩の地には、山西の大炭田があり、全亜細亜蔵炭量の約八割に当る六千八百億トンの石炭と、無尽蔵とも言うべき鉄が死蔵されている。日本が今後、鉄と石炭との需給において独立せんとするならば、山東炭の価値を無視するを許さぬと共に、更に、山西大炭田の世界的価値を逸するを得ないだろう。」(「日本と山東の特殊関係」十九頁)
 山崎は、勿論、こういうことを知っていた。
「満蒙の特殊利益は、日本が高価なる犠牲を払い、巨額の資金を投下して開拓したるものである。飽くまでこれを擁護する必要がある。ある場合、山東を放棄するとも、満蒙の特殊利益は、最後まで保持せねばならない。満蒙は先であり、山東は後である。満蒙のためには国力を賭しても争わねばならぬが、山東は、或る程度まで忍ぶも已むを得ない。かゝる議論をなすものがある。勿論、満蒙の天地が広大であり、その利害が広汎であり、その全局の得失は極めて重大である。しかし、広東に起りたる支那の民族革命、共産主義者の潜航運動は、今や完全に中部支那を浸潤し、北部及び満洲
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