が、工人に対して、動物に対すると同じような態度をとった。幹太郎は工人等が、黒い饅頭か、高梁粉をベッタラ焼きのようにした※[#「火+考」、第3水準1−87−43]餅《コウビン》のかけらを噛って、湯をのむだけで、よくも一日十五時間の労働に消費される熱量を補給し得るものだと考えた。
 彼には支那人ほど、根気強く、辛抱強い奴はないと見えた。文句を云わなかった。一箇でもよけいにマッチを詰めて、たゞ金を儲けたいと心がけている。請負制度は彼等の愛銭心を挑発して働かせる。その一つの目的のために、案出された制度のようだった。
「馬鹿な!」小山は冷笑していた。「奴等自身だって、熱量が補給されるかどうかなんてこたア、考えてみもしねえんだ!」
 小山は、彼自身の経験から割り出して、ここの工人は、満洲の苦力よりも生意気で、能率が上らないと確信していた。彼は、大連埠頭の碧山荘の苦力を使った経験があった。「支那人って奴は、やくざな人種だということを知って置かなけゃだめだよ。奴らをほめたりなんかするこたア、そりゃ、決していらんこったよ。」先輩振って、云ってきかすような調子だった。
「あいつらは恥というものがないんだ。こっちがいくらよくしてやったって、それで十分なんてこたないんだ。十円くれてやったって、シェシェ[#「シェシェ」に傍点]でそこすんだりだ。一円くれてやっても、やっぱし、シェシェ[#「シェシェ」に傍点]でそこすんだりだ。十銭くれてやっても、同じように、シェシェ[#「シェシェ」に傍点]とは云うよ。だから奴等に、大きな恩をきせてやるなんか馬鹿の骨頂だよ。――それで、貰ったが最後、なまけて、こっちの云うことなんかききやしないんだ。」
「朝鮮でも、満洲でも、――ヨボやチャンコロは吾々におじけて、ちり/\してるんだがな。」
 支配人は繰り返えした。
 汽車で席がない時、あとから乗り込んだ彼等が、さきから乗りこんでいるヨボを立たして、そこへ坐るのが当然とされている。それを、皆に思い出させながら、
「それが、こっちでは支那人が威張りくさってやがるんだ。やっぱし、ここにゃ、日本の軍隊がいないせいだな。」
 彼等は、満洲や朝鮮をゴロツク間に、不逞なヨボや、苦力が、守備隊の示威演習や、その狂暴な武力によって取っちめられてしまうのを、痛快に思いつつ目撃して来た。
 彼等は、ここに、そういう、日本帝国の守備隊が、来て呉れていないことを残念がった。
「しかし、物はなんでも比較の上の話ですよ。」
 幹太郎は、悪党に対して純なものの正しさを譲るまいと心がけながら云った。
「働くという点から較べると、日本人は到底支那人には及ばんですよ。それに、内地じゃ組合が出来たり、ストライキをやったりして労働者が、そうむちゃくちゃに、ひどい条件でこき使われて黙っちゃいなくなっていますよ。」
「そんなこた俺れゃ知らん。――そんなこたホヤホヤの君が知っているだけだよ。」小山は幹太郎がうぶいことを軽蔑した。「吾々が支那までやって来て、苦力のように働くってことがあるかね。吾々は奴等に仕事を与えているんじゃないか。ね。吾々が、こうしてこの土地に工場をこしらえなかったら、奴等は、ゼニを儲ける口もありゃせんのだよ。洋車《ヤンチョ》だって俺等が乗ってゼニを払わなかったら、誰れからゼニを貰うかね。それを、何を好んで、俺等が、奴等と同じレベルにまでなりさがって働くって法があるかい!そんなこた、それゃ、日本人の面汚しだぞ。」
「働くことが何で面汚しなんだ!」と幹太郎は考えた。「何てばかな奴だ。」
「もっと年を喰やア、君だって今に、分るんだ!」小山は呶鳴った。
 どうかした拍子に、田舎から、口を求めに出た男が、ひょっこりマッチ工場へ這入って来ることがある。
 垢に汚れた布団を肩に引っかけ、がらくたの炊事道具を麻袋《マアタイ》になでこんで、そいつを手にさげたままやって来た。巡警は前以って、内川の云いつけでそんな奴は門内に這入らせた。幹太郎がそういう奴の相手になった。
 内川は、幹太郎が支那語講座流の発音で話している間中、脇の方からその支那人を観察していた。
 おとなしくって、若い、丸々と肥えて、いくらでも働かし得る、そういう奴かどうかによって採否を決した。
 健康そうな、しかし、きれいではない、田舎出の若者が、一人採用される。と、その代りマッチ工場独特の骨壊疽《こつえそ》にかかった老人や、歯齦《はぐき》が腐って歯がすっかり抜け落ちてしまった勤続者や、たびたびの火傷《やけど》に指がただれ膿《う》んで、なりっぽのように、小さい物をつまみ上げることが出来ない女工が一人ずつ追い出されて行った。給料ぽッきりで。
 栄養不良と、日光不足(朝四時から夜七時まで作業)にもってきて、世界各国で禁止されている、最も有毒な黄燐を使うため、健康
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