んぼろさげた工人達は、鉄条網の張られた白楊材置場へまわった。そこの僅かの一部分だけは、トタン塀が張られていなかった。
 そこで、彼等は、金属的な、悲しげな声を出した。
 工人達は、親の唸くような、叫ぶ声をきゝつけると、そっと、作業場を抜け出して、鉄条網のそばへしのびよった。
 彼等は、鉄条網をへだてて、内密に、面会した。
 しかし、息子は、親に与える金がなかった。夫は、妻に与える金がなかった。
 それは悲痛な面会だった。
 幹太郎はこういう者たちから、給料をくれるように話してくれとせがまれた。
「猪川さん。」王洪吉《ワンホンチ》は、おず/\と、浸点を見ている幹太郎のそばへ近よった。気の弱い、勤勉な工人の一人だ。
「何だね?」
「猪川さん。」
「何だね?」幹太郎は早く云えというような顔をした。
「猪川さん。……あのう、月給を半分だけでも渡して貰えるように、あんたから、小山さんに頼んで呉れませんか。」
 王《ワン》の、卑屈げに、はにかんだ声を、幹太郎は意識した。
「今、おふくろが来て、女房がお産をしたが、もう、三日、飯をくわずにいると云うんです。」王はつゞけた。「おとゝいまで、嬶の妹のところから、粟を貰って来て食ったが、妹のところにも、なんにもなくなっちまったんです。」
「当分、月給を渡さないということになってるんだがなあ。」幹太郎は当惑げな顔をした。
「おふくろ、大きい方の餓鬼をおぶって来て、柵の外で泣いているです。――餓鬼も、おふくろも泣いているです。」
「会計にだって、支配人にだって、俺の云うことなんか、ちっとも効果がありゃせんのだよ。」
「…………」
 王洪吉は何か云おうとして、不思議な眼つきで、幹太郎を見た。彼は、肉体と精神と、両方で苦るしんでいた。胸がへしゃがれるようで、息をすることも、出来なかった。幹太郎は王の眼から、眉間《みけん》を打たれた瞬間の屠殺される去勢牛のように、人のいい、無抵抗なものを感じた。それは無抵抗なまゝに、俺れゃどうして殺されるんだ! 俺れゃ殺される覚えはない! というように無心に訴えていた。
 ふと、彼は
「よし、云ってやるよ。話してやるよ!」憤然と叫んだ。
「まるで、君等を人間並とは考えていないんだからなア。――かまわん。待ってい給え、云ってやる! 話してやるよ!」

 幹太郎は、工場の日本人のうちで一番植民地ずれがしていない、新顔だった。支配人の内川、職長の小山、大津、守田、会計の岩井、みな、コセ/\した内地に愛想をつかして、覊絆《きはん》のない奔放な土地にあこがれ、朝鮮、満洲へ足を踏み出した者ばかりだ。内地で喰いつめるか、法律に引っかゝるかする。居づらくなる。すると先ず朝鮮へ渡る。朝鮮が面白くない、満洲へ来る。満洲も面白くない、天津へ来る。北京へ来る。そこでもうまく行かない。そういう連中が、ここへ這入りこんでいた。
 彼等は、大連、奉天、青島、天津などを荒しまわっていた。常にニヤ/\している、顔にどっか生殖器のような感じのある大津のために、娘を山分けの手数料を取られて、七八十円で売らされた朝鮮人がどれだけあるか知れない。しかも、その生娘は、一人残らず大津に「あじみ」されて、それから、買手に渡されていた。小山の棍棒にかかって、不具者となり、くたばってしまった苦力は十人を下らないだろう。
 岩井は、今こそ、いくらか小金をためて虫をも殺さぬ顔をしている。が、その金を得るために、彼は日本人でも、朝鮮人でも、支那人でも、邪魔になるものは誰でも、なきものにし兼ねない手段を選んで来た。
 そんな面《つら》の皮の厚さが、二寸も三寸もありそうなゴツイ[#「ゴツイ」に傍点]彼等も、自分自身の悪業のため、満洲がいにくゝなる。天津がいにくゝなる。青島がいにくゝなる。そしてここへやって来ていた。
 工場には、悪党上りが集った場所によくある、留置場のような、一種特別な、ざっくばらんな空気がかもされていた。こゝでは自分の悪業を蔽いかくそうとする者は一人もなかった。強姦でも、強盗でも、窃盗でも、自分の経験を大ッぴらに喋りちらした。そこへ這入って来る人間は、自分にやった覚えのない罪悪をも、誇大に作り出して喋らないと、はばがきかない感じを受けた。いろ/\な前科と剛胆な犯罪の経験をよけいに持っている奴ほど、はばをきかし、人を恐れさし、えらばっていることが出来た。
 小山は、工人の気に喰わぬ奴に対しては、燐や、塩酸加里、硫黄、松脂などが加熱されて釜の中でドロ/\にとけている頭薬を、柄杓《ひしゃく》ですくって、頭からピシャリとぶちかけた。支那人は、彼の手に握られた柄杓を見ると、物がひっくりかえるようなトンキョウな声を出して逃げ出すのだった。そのくせ、工人達が頭薬をこぼすと口ぎたなく呶鳴りちらした。
 彼等は、幹太郎をのけると、みな
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