中から、おかしい。笑いたくてたまらないものが、こみ上げて来て、なかなか眠れなかった。笑いを吹き出してしまって静まったかと思うと、また、一人が、「ふふふふッふ。」と、吹き出してくる。「両側から反革命の戦線を切り崩せ!」
 誰れの仕業か分らないことも、えらい人がすっかり仮面をぬいで慌て出してしまったことも、犯人が決して兵士たち自身でないことも、彼等を明るく愉快にした。高取は、幾度となく、毛布をかむって、眠ろうとした。が、誰れかの言葉がすぐ彼の気を散らした。又、子供らしい笑いが洞窟のような宿舎に響き渡る。……
 十一時すぎになった。彼等は、まだ眠っていなかった。ふいに、当直下士が、靴音荒くとびこんできた。
「起きろ! 起きろ! 皆んな起きろ!」
「また検査でありますか?」
「馬鹿ッ! 検査どころか。南軍が這入ってくるんだ。張宗昌が、今さっき城をあけて逃げ出してしまったんだ。徹夜警戒だ!」
「ふふふふふッふ。」
 兵士たちは、又、吹き出しながら起きあがった。

     二二

 張宗昌と孫伝芳は、戦わずに泰安を抛棄した。そして界首の線によって一時を支えようとした。
 しかし、黄河を迂回して、側面からここを圧迫する馮玉祥の騎兵部隊と、泰山の南を縫うて、明水平野に出た陳調元の優勢な一部隊に圧迫せられ、又、戦わずに、界首と、黄河の線を抛棄した。
 敗北した軍隊は、雪崩《なだれ》を打ってこの古い都済南へ総退却した。
 つゞいて、黄河の鉄橋を破壊しつゝ津浦線を、天津に向って退却した。逃げおくれることを恐れる山東軍の兵士は、さきを争った。貨車の屋根に梯子をかけて這い上った。ころげ落ちそうになった。屋根の上には兵士がすゞなりになった。
 約六時間経って、王舎人荘で一夜をあかした南軍の顧祝同《クシュトン》の第三師は夜があけると同時に入城してきだした。つづいて、陳調元の第十三師と第二十二師が入城した。ついさきほど、張宗昌のために、優秀な機関車の都合をつけた、津浦線停車場の駅長は、顧祝同を停車場と、無線電信局へうや/\しく案内した。直ちにそこは顧祝同の軍隊によって占領された。
 一時間の後、津浦線伝いに、賀耀祖の部隊が到着した。更に三時間の後、黄河に沿うて側面から迫りつゝあった方振武が到着した。これらの軍はすべてで、約二万はあったであろう。
 夜になった。夜半近く、又、行軍縦隊や、自動車や、鍋釜をかついだ大行李の人夫等が、駅頭に着いた。
 一台の立派な自動車には、抜身のピストルを持った二人の少年兵が左右に立って、注意を怠らず、そこらにじろじろ眼を配っていた。少年は懸命の努力にも拘わらず、どうかすると、こッくりこッくりと、脳髄が執拗な睡眠に襲われ、立ったまゝひょっと他の世界に引きずりこまれそうになった。
 自動車は、前後、左右を騎兵によって守られていた。まだ、あとに自動車はつゞいている。
 一隊は、街頭の拒馬に遮られた。馬も、車も、速力をゆるめ、辛《かろう》じて、その間をくゞりぬけた。ピストルの少年が立っている自動車の窓から、ふと、面長の、稍《やゝ》、頬のこけた顔が、頸を出した。「これは何だね?」かんかん声で呶鳴った。
「これは、日本軍の作りつけたものであります。」
「何のために、横暴にも、こんなものを作りつけたんだ。」と、けいけいとした、黒玉のしょっちゅう動いている眼で、附近を見やりながら、「土嚢塁もあるし、鉄条網は、そこら中いっぱいじゃないか。」
「はい。」
「兵タイが立っている、機関銃まで据えつけている、……これは、わが革命軍に対して敵対行動をとるにも等しい仕わざじゃないか! 何故、君等は、こんなものを撤退することを要求しなかったか!」
「は、……」
 自動車の傍の馬上の男も、参謀か、師長であるらしかった。
「早速、こんなものを、全然撤退してしまうよう、厳重に抗議しなけゃならん!」
 拒馬の間をくゞりぬけると、自動車の速力は加わった。こくりこくりしかけていた少年兵は、ふと頭をゴツンと打って眼をあけた。一隊は城内に向って疾駆した。
 これが、一年前在モスクワの息子経国から「……いまやあなたは支那国民の敵となった。父上あなたは、反革命の英雄であり、新しき軍閥の頭領であります。あなたは上海において労働者を虐殺しました。これに対して全世界のブルジョアはむろん歓迎の辞を以てあなたを呼びかけるでしょう、帝国主義者は、数多の贈物をもたらすでしょう。しかし、プロレタリアートが一方に厳存していることを、ゆめ、忘れては下さるな! 父上、あなたはクーデターによって一世の英雄となった。しかし、あなたの勝利は一時的なものと信じます。父よ! コンミニストは日を逐うて、戦いの用意を整えている……」この悲痛な手紙を突きつけられた、裏切者、蒋介石の軍司令部の一行だった。

    
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